長編ですが、形意拳の王世祥老師からのアドバイスをまとめたくなり、初練習から、劈拳のスタートライン(実用可能となる基本が身につく)に至るまでを~「貴重な財宝を授けてくれる。価値の無いガラクタを与えたりはしない」な老師の言葉が、皆様の参考になれば幸いです。
★気温が低くなると、いつも、私の膝や脱いだ上着の上で眠っていた公園猫「小花」
私が北京にいない時には、老師に寄り添っていたそうです。
★2009年8月~初めての本格的形意拳開始。
以前、宗維潔老師が連れてきてくれた時、「午前8時から11時までは、毎日ここにいるよ」と言っていた王世祥老師は、その言葉通りに同じ場所、同じ椅子に一人座っていました。
形意拳。五行拳と五環拳は体育大学で学習済み~とはいえ伝統拳的には素人同然。
「十一月に戻ってきますから、日本に帰ってから自分で出来るような基本を教えてください。」と、リクエスト。
で、桩功、劈拳の練習を一時間半ほど。
「後ろ脚を蹴り出す力は、重心を踵に落とす力を利用するんですよね~」と、余計な発言をしたら~「敛臀(=お尻を収める)が大切。敛臀になる=立腰(腰が反らない)。腰が反っていると上半身が安定しなくなるから相手に推されると直ぐに倒れてしまうし、その際に腰を痛める。腰を立てる=腰の保護になる」
「劈拳。収めるときも打つときも肩、肘を使って。二の腕の下部の力を利用しないと挂(指先や腕で相手の手や腕を引っ掛けるが出来ない」、「二の腕の下って?」~で、技をかけてもらいましたが、例えば、指先を力点(相手との接点)として相手の腕を引っ張ろうとするときと、二の腕裏側を経由させた力を力点に伝えて相手を引っ張った場合では、攻撃効果が明らかに異なります⇒二の腕を使ったほうが強い⇒相手にダメージを与えられる、与えられない~正誤の基準がハッキリ。
推手というよりも摔跤(中国レスリング)向き~、流石に民間(伝統=実戦)武術。
同じ動作のみを長時間、老師からの要求をこなす⇒動きが単純なので、動作に慣れるにつれて思考が自分の内部へと向い易くなる。
★その三日後~劈拳に飽きて、王世祥老師に、「他の形をやってもいいですか?」と尋ねたら、「いいよ~」と言われたので、近くの先輩に、「新しい形を教えて~」と言ったら、「劈拳を練習していれば充分!」と~(#-"-#)piki!
piki!~を抱えながら宗維潔老師の元で太極拳~「今日の形意拳どうだった?」と聞かれ、子供のように一部始終を語ったら、「劈拳が誰よりも上手いということは、その人は誰よりも強いということと同じ意味を持つのよ」と~「ん...ρ(. . )」
※欲速則不到⇒上達を焦って基本を疎かにすると、いつまで経っても到達しないそうです。
★2009年12月~普段は無口な王老師ですが、それでも、毎日、五行拳それぞれの動作を一往復ずつ見せてくれます。劲の通し方、用法、タイミングをシッカリ目に焼き付けて、自分の身体で復元していくという練習。
「虚領頂頸&尾閭中間=立身中正」に気を使いながら、後方の力を利用して拳の力に変えていく過程で、一瞬、いつもよりも力の通りが良い時が~あ!収腹(下腹部を引き締める)が出来ているから?尾閭を引き上げていれば、自然に収腹になるのかと思っていたら~別物でした。
宗維潔老師からは常々、「あなたも私も同じようにお腹が出ているけど、太極拳をしている時、私のお腹は収まっているのに、あなたはそのまま~」と、言われ続けていましたが、今日ようやく体感できました。
★2010年3月初旬~久し振りの北京。老師は元気そう。で、練習不足を悟られないように歩行練習をしていたら、「脚の用法が出ていない~」と、「脚の用法って?」「一歩目、摆脚になる時には膝や脛を使って相手の脚を崩している。二歩目も同じように相手の脚に攻撃をしかけている。同時に手も活用して~体勢を崩したり打ち込んだり」「あら~一歩目は二歩目で相手の中に割り込んでいく為のものかと思っていました。」
形意拳恐るべし。少しも無駄がありません~昨日、師姐が知り合いとお喋りしているのを何気なく聞いていたのですが、「この老師の功夫は、10歳の時から70年~」だそうです。
★2010年3月中旬~形意拳の基本となる三体式や動作練習に際して沈肩を注意していたら~ 老師が近づいてきて、劈拳の定式を要求。で、肩隅ツボをトントンと軽く叩きだしたのです。すると、何ということでしょう~腕は墜肘のままスルスルと伸びていくありませんか。ハッキリ言って、今までにこんなに腕が伸びたことはありません。「送肩の力は肘に伝わり相手の体に押し込まれていく」
それから、老師と向かい合わせになって、互いの肩に片手(左右逆になる)を置いて~肩が伸びる力を肘に送って相手に攻撃をかける練習。二人の距離は少しも変化しないのに、相手に打ち込むことができます。
★2010年3月下旬~毎日、毎日、同じ内容の練習を繰り返していたので、自分が進歩したのかどうか分からなかったのですが、 今日、公園を散歩している人の「あれは形意拳。後ろ足を蹴り出す力で相手を打つのよ」と言っている声が聞こえてきました。
ようやく、形意拳だと認識してもらえるレベルになったようです。(#^_^#)
★2010年5月~バスが渋滞にまきこまれたせいで、公園に着いたのは午前9時過ぎ。 老師のところには、お客さんが二人。老師は、ただ、ただ、聞いているだけでしたが~ 先輩格の男性が、後輩と思しき人に向かって、「2~3日練習して、“今日は疲れているから休み”というような練習の仕方を練功とは呼ばない。どんなに暑くても、どんなに寒くても、毎日毎日続けているような練習を練功と言うんだ。上達は、練功を通してしか得られない。内側から変化していかなければならないものだから誰にも教えられない。自分自身(練習)を頼りにしていくしかないんだ。費やした時間が大切なんだ」と。
圧腿や提腿をしながら、さりげな~く聞き耳を立てていましたが、練功経験者が語る“練功”。
少しの疑問も湧くことなく、スッと心に沁み込んでいきました。
★2010年8月~久し振りの形意拳練習時、やはり老師に注意されました。劈拳~老師の肘、肘関節の両端の高さは同じ⇒地面に対して水平⇒肘が垂直に下がっている。私の肘は微妙に外側が上がっていて、「私の肘、どうしても外側が上がって、老師とは違ってしまう~」
と訴えたら、「関節の内側の部分を固定させれば大丈夫。」と~外側を抑えたいのに、内側を固定?と、疑問を感じながら練習。
「劈拳=肺を養う」~中医では、前腕を捩じる動作=肺経の通りを良くすると言われています。老師に言われた通りに肘の内側関節を固定しながら動くと、いつもより前腕が捩じれて痛いくらい。そして、不思議なことに肘関節は地面に対して平行になりました。
おぉ~と、感動しながら練習を続けていたら、次の要求。「送肩(肩で相手を打ち)は、ココを使って~」と、触らせてくれたのは、鎖骨の真下、脇の上辺りの窪み。そこが伸縮される(老師は松沈による力だと~)ことによって、上腕(二の腕)の後ろ側から力が生じて相手を打っている~縮める時には上腕の後ろ側が相手を引きずり倒してきている~これは、確かに、沈肩墜肘が完成していないと発揮できない動き。理論に即した正しい形、侮れません。
★2010年9月~北京到着以降、平日の生徒は私一人だった今回の形意拳。9月に新入生を迎える中国。短期間、留学生班で学んでいた日本の女の子が今秋から北京体育大学武術班本科生に~今日から練習復帰。
老師も嬉しかったのか、いつも持参している水筒からお茶をついで、彼女に差し出していました。
ちなみに、私は貰ったことがありません~Ρ(. . )
老師、私には~何故か煙草を勧めます。吸わないのに。Ρ(. . )
練習を始めた彼女の動作を注視していた老師。一通りの動作が終わるのを待って、「この部分が違う~」と、ダメ出しすること数回。日本に帰っている間にも練習していたのが見て取れたからか、上機嫌&饒舌。
「答えは自分の体の中から出てくる。正しい形や動きのアドバイスを受けたら、何度も何度もその要求の意味を思考しながら体に実践させ続けなければならない。体が動作を熟知した後、体得という形で内側からの湧き出てくる力(劲力)を徐々に感じ取ることが出来るようになる」
好的(--)!と、目立たないように五行連環拳を通し始めた私。套路を終えると同時に近づいてくる老師。注意が飛んでくる~と身構えている私と、立ち止まった老師の目が合い~一瞬の対峙の後、人差し指を私に向けて振りかざし~「你、(数秒の沈黙あり)对了=おまえの動き、それでいい。」~五行連環拳套路、ひとまずスタートラインに。
★2010年10月~帰国中は自分勝手に練習を続けていましたが、老師が一緒になって、隣で五行拳を動いてくれて分かったことが~ここ最近、前足踏み込みの力を手に伝えることが出来るようになった気になっていましたが、老師に合わせて動いてみると、整体一致の精度が違い過ぎる。私の場合、一致に1秒かかるとしたら、老師の一致速度は0.001秒以下。イイ物を見せていただきました。
そして、五行拳の後に、突然始まった新しい動作の伝授。攬雀尾の履(リー)と同じような動作(後になって、宗維潔老師に「この動作の名称は?」と尋ねたら、「分からない~王老師独自の動きかしら?」)実践を重んじている形意拳老師。相手の手を取りにいって、引いて来る時の両手の使い方が独創的。私に手首と肘基準で腕を取らせて~引っぱるように指図。その通りにすると肩で反撃してくる。それから、手首と上腕を取らせて~引っ張るように指図。その通りにすると肘で反撃してくる。
老師の要求~手首:関節の両側、突き出たところを握力を強めて押さえこみながら、下に引く⇒相当に痛い。上腕:指は小指から裏側の柔らかい部分に食いこませるように捩じる⇒肘が使えない。一方の手は直線、もう一方の手は回転~と異なる動きをしているので相手に力を読み取らせない⇒反撃の余地を与えない。
老師が常々主張している、直線の中の回転。 回転=力点が常に変化している⇒相手に力を読まれない&防御(化する)が可能。 まさしく実戦~驚くほど使えます。
★2010年11月~北京を離れる留学生がいるので~昨晩は送別会。 飲み過ぎ後遺症的な状態で形意拳。かなり乏しくなっている集中力を寄せ集めながら練習。
昨日指摘された“頭首の固定と~引いてくる腰&手の力を利用して前の手を送り出す~”と、注意を払いながら動いても、バラバラな感覚が拭えないけど、老師が見ているからサボれない。身体を調整しながら、劈拳の練習。何度も何度も、他の拳を練習する気力もなく~半時間近く同じ拳。動きに慣れて頭のコントロールがいらなくなった頃、突然生じた感覚に思わず笑いがこみ上げ~「老師~劈拳就是劈!⇒斧拳は斧です!」と、叫んでいました。
それから、二人一緒に大笑い。\(^0^)人(^0^)/
習い初めから、「劈、劈、劈~」と何度も繰り返し同じ要求を言われ続けていたのに。ようやく斧を打ちおろす動作を身体が自然に出せるようになりました。斧をコントロールしているのは、柄を握っている方の手。そして、順着⇒~(腰の動きなど)に沿って⇒力まず、自然に。
「劈」「順着」たった二つの単語に含まれた内容の豊富なこと。理解に至るまで、一年以上を費やしました。
★2011年9月~2時間ほどの練習で老師からのアドバイスは一つ。言葉もなく、ベンチに座りながら「劈拳の劈」一度。
(− −)?な顔をしていたら、もう一度見せてくれました。
(^^)v。。。と、返事はしたものの、その動作は複雑。
肩を沈めた力が肘に落ちていき、胸と腕の付根が開くと〜上腕後ろ部分が肘から先を前に押し出し〜前腕には肘からの捻りが加わり〜劈は弧を描きながら、翻りながら相手を打ちに行く。精密機械のように、身体の各部が連関しながら一気呵成に完整。
色々な方向の力を力を組み合わせることによって、相手の力をかわしながら(化)の攻撃を可能にしている。
★以降、老師の体調や私のスケジュールなどが原因で、練習は徐々になくなりました。。。(T_T)
★老師の師匠「駱興武」系列の形意拳。。。