今までに訳していた太極拳理論文章、ようやく体得し始めた“横隔膜呼吸により形成される気沈丹田による太極劲”を前提に読み返してみると、同じ文章なのに理解が異なってきていることに気づきました。ここ数日は、「気沈丹田、気貼脊背による太極劲」の色々を取り上げていこうと思います⇒太極拳も気功も呼吸を全身に巡らせる(気血を通す≒マッサージ)ことにより健康効果が得られます。
楊式太極拳十要の第一番目に記されている虚領頂頸は、他流派においても練功要旨の首となっている。その源は、道家の導引身術。道家功は、「虚領頂頸と気沈丹田」は、いずれも欠かせない存在~同位置に扱われている⇒修練者は、「至虚極、守静篤」な練習を積み「導気令、引体令柔」、「虚其心、実其腹」を求める⇒前者は修心、後者は修身。
王宗岳の≪太極拳論≫では、「虚領頂頸」「気沈丹田」「不偏不倚」の合計十二文字になる実質は立身中正⇒頂頸劲と腹部の沈劲(気沈丹田)が同时に発生することによって形成される身弓(左右肩甲骨の中間部分&命門の後ろ辺りの背骨が後方へと張り出される)による身型(法)、
★背弓の出現⇒~丹田の気を圧することにより背筋を自然稼働~肩甲骨・手腕稼働へとつながる重要素。
「頂頭懸」という言葉でも表される虚領頂頸。頸(首の後ろ部分)は虚(放松)となり頭は上に~頭部以外は全て下方へと沈松している⇒脊髄は頭部に吊り下げられ伸びている(舒展)。肩も胸も沈む⇒上方へ向かう虚領頂頸と下方へ向かう松腰収臀という相反する方向に向かう二つの力の共同作業によって、背骨は舒直(力みなく真っ直ぐに伸びる)となる⇒「上至脳、下至尾骶、開精髓昇降之道路」⇒督脈が通る⇒中枢神経系統の働きを良くする。
気沈丹田は、先に虚領頂頸でなければ出現しない。気沈丹田となっている=虚領頂頸が完成していることの証明。例えば、虚領頂頸の無い気沈丹田は、地面に落ちた(沈)縄と同じ状態⇒立身中正とはなれない⇒縄の先端を持ち上げることにより、節節貫穿しながら真っ直ぐに伸びることが出来る。
虚領頂頸の無い気沈丹田は、地面に落ちた(沈)縄と同じ状態⇒立身中正とはなれない⇒縄の先端を持ち上げることにより、節節貫穿しながら真っ直ぐに伸びることが出来る⇒持ち上げている手を放すと、地面へと崩れ落ちてしまう。
「立如平准、活似車輪」=軸(縦横)が真っ直ぐ(平ら)であれば、車輪のように動くことが出来る。「立身中正」と「八面支撑」が、それを実現させます。
「荷叶滾球⇒蓮の葉の上を転がる露」。八卦掌の名家「郭古民」が言及していた例え。荷叶(蓮葉)滾球の動きは、太極拳の内功の特長を体現。蓮葉を人体の外形に例え⇒上下起伏、左右回旋と絶え間なく変化しながら動いている。蓮葉の上の水珠(露)を内気、内劲に例え⇒身体の変化に伴って円転し運化。
水球は、圓潤、膨満、水晶のように透明⇒太極拳の内気、内功も又、充満、純浄、清明。蓮葉の上の露の様子は、拙力(筋肉の硬剛な力)がなく、まるで接触していないかのようで、滞らず、自在に滑らかに動いている⇒省力な運転方式⇒その動きは、自身を捨てて~蓮葉の拳勢の変化に随っている=随曲就伸⇒太極拳内気の体内での運転も、水球と同じように自然であるように。
荷叶滾球は、一種の方立体化した運動形態⇒四面八方~柔らかくても“張力(八面支撑)”で充満していて、一つとして“掤”が失われている箇所がない。張力(八面支撑)⇒「背似無功确有功、不講背形不能通」。背中に功力は無いように感じるが、背中に身弓が無ければ劲力は発生しない。
身弓⇒命門を張り出す(提肛、収小腹、収臀の完成で出現)、気貼背(肩甲骨の真ん中が張り出される=抜背)、沈肩墜肘の条件が整う⇒背中での発劲により打つことが可能となる。
張力(八面支撑)⇒「背似無功确有功、不講背形不能通」
背中に功力は無いように感じるが、背中に身弓が無ければ劲力は発生しない。