買い物からの帰り、細い道を曲がった途端、一匹の猫と目が合っていました。
対峙した数秒の後、猫は素早く塀を駆け登り屋根の上へと一目散。。。
本当に、中野には、猫が多い。
北京から帰国した日、家へと向かう小路に足を踏み入れた途端に鼻をかすめたのは猫臭。
近所の公園。世代交代を繰り返しながら、絶えず10匹近くの猫がたむろしています。
自宅では猫を飼えない人たちが餌を与える為に、増殖が続いてしまうのです。
私がこの町に越して来た頃、ボス的存在だったのはトミー(勝手に名付けてました)という茶トラ。
人が近づいても泰然自若として、いつも、通り過ぎて行く人々を屋根の上から見下ろしていました。
数年後のある朝、我が家の玄関先に一匹の、明らかにトミーの血筋と判る子猫が訪れた事があります。牛乳を与えると、夢中で飲み干し、走り去って行きました。
その後、近所で見かける度に声をかけてはみたものの、なつく事はなく、その距離が縮まることも無いままに月日が過ぎていきました。
2年程経ったある日、開け放したドアの外から室内を覗き込む猫が、、、成長したトミーの息子、警戒心旺盛だったあの子猫“ヘケ”でした。
その時、いつもとは異なり、逃げる気配も見せずにじっと何かを待っています。やせ衰え、毛は薄汚れ、片目は目ヤニで開くことも出来ないという状態。
余程辛かったのでしょう、ぬるま湯を浸した布で目ヤニを取っている間、ジッとその身を委ねていました。
その日を境に、彼は、毎日のように我が家に治療に通って来るようになりました。
虚弱体質の彼はいつでも、“ヘケッ、ヘケッ”と喉を鳴らしていたので、“ヘケ”と命名。
何故か、“ニャ~ン”と声を出しては鳴けず、呼びかけられた時には、口を“ニャ~ン”の形に開いて意思表示。
時間の経過と共に室内で昼寝をしていくようにもなり、ようやく膝に抱いても逃げなくなった頃に気付いたのですが、ヘケの喉には傷跡が、、、声を出せなかったのは、そのせいなのでしょう。
距離が縮まるようで縮まらないという付き合いが半年程度続いた年の暮れ、2~3日姿を見せなかったヘケが鼻水ダラダラ、毛はベットリという酷い状態でやって来ました。
猫を飼っている友人に電話したところ、“猫インフルエンザ”が流行っているとか、、、
翌朝には北京に旅立たなければならなかった私。
一晩の暖かい寝床しか提供出来なかった。。。
一週間後、公園の片隅、彼が埋葬されたという場所には数本の花が供えられていました。
ヘケが逝って2年。その面影を宿した猫と遭遇した午後でした。。。