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武当玄武派、清風子道長。。。

パフォーマンスが評判の武当玄武派の道長「清風子」の表演、久しぶりに見ました。




湖北宜都長清観宣伝動画。。。




2007年は、こんな感じ。




軽功で有名な武当三豊派の「陳師行道長」との対練(拂尘対剣)




軽功。。。





by takeichi-3 | 2019-03-05 23:58 | 偉人たち | Comments(0)

新旧中国武術。。。

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お昼近く、春日和~みたいな天気になった今日の空はきれいで。駅のホームで電車を待ちながら、“そういえば、この見慣れた中野サンプラザも数年後には解体されてしまうんだなぁ”と思ったら、ついつい写真を撮りたくなってしまいました。


昨日は元宵節だった中華圏。あちこちで賑やかな催しがあったようです。
テレビでは、莱州武校の武術表演。




★新しい武術(最新パフォーマンス)のあとは、古い武術でも★

映画少林寺で師匠を演じた“于海”は螳螂拳の高手。実際に蟷螂を採取してきては、その動きを研究していたそうです。しっかりと、腰が活用されている動きです。




刀術に秀でていたという“徐其成”。初期の国家武術隊隊長を務めています。




内家三拳。。。太極拳、形意拳、八卦掌。




北京で学んだ王世祥老師の形意拳&八卦掌は、この流派(駱興武系)。それ以前には通臂拳を学んでいたそうです。


by takeichi-3 | 2019-02-20 23:51 | 偉人たち | Comments(0)

競技武術チャンピオン~孫培原。。。

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湖南省芒果TVが武術チャンピオン孫培原の特集番組を制作~\(^^)人(^^)/



インドネシア開催のアジア大会の数か月前に脚を負傷~それをカバーしながらトレーニングを続けて、金メダルを獲得した話や、父親の希望で習武開始。辛くて逃げ出したことも。収入が少なかった父親は、彼の習武費用を借金で賄い~その姿を見て、成績が良ければ学費は免除されるからと頑張って~な子供時代の話も。

by takeichi-3 | 2019-01-28 23:55 | 偉人たち | Comments(0)

張三豊。。。

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★ジェットー・リー演じる張三豊が太極拳を編み出すシーン。




★金庸の武侠小説の中では、「天下第一高手」として登場。。。




★諸説ある張三豊を中国中央テレビの番組「国宝档案」版。。。


by takeichi-3 | 2019-01-27 23:58 | 偉人たち | Comments(0)

蔡龍雲。。。

2015年に亡くなった、上海体育学院主任教授、中国武術協会副主任、著名な武術技撃家、中国武術9段、理論家、教育家である「蔡龍雲」をモデルとした舞台公演がスタートしているらしいです。



武功の高いガードマン。向かうところ敵無し~と名を馳せた父親から四歳から鍛えられた様子。

身為家中独子的蔡龍雲自然承担起了継承父親武術衣鉢的重任。剛満4歳、蔡龍雲便開始在父親的厳格要求下修練武術、先是腰功、腿功、裆功等基本功。他練起“迎面三脚”、左右腿,常常一練就是一百次、一口気三百腿、有時摔倒在地、也要爬起来再練。“那時候、‘馬歩桩’一練就是半个小時、大頂一拿就是1个小時。父親対我特别厉害、我家予備着両条藤鞭、我覚得我已経很売力気了、可父親老是不満意。”蔡龍雲説,那時年紀小、体力有限、一旦支持不住摔下来、藤条会毫不留情地落到我身上。“小時候、我手上、背上全是一条条的紫痕、天熱時我不好意思把袖子捋起来、”父親総是対蔡龍雲説、人要想有出息、必須接受鍛錬、吃苦、“所以我冬天从来没穿過綿袄、天気越悪劣越要在外辺練。”回憶起那些苦練基本功的日子、蔡龍雲唏嘘慨嘆:“那時候我每天早上四五点鐘起床練到七点去上学、下学回家放下書包接着練、一直練到吃晩飯。吃完飯歇一会儿、再从晚七点一直練到十点睡覚。”蔡龍雲説他小時候还曾経産生過離家出走的念頭、因為練功太苦了。

蔡龍雲没有辜負父親的厚望、9歳的時候他的拳術已相当精熟。迎面三脚、八歩連環、羅漢十八手、少林瘋魔棍、这些難度較大的功夫、他已経練得有模有様。之后、蔡龍雲輾転上海、広拜名師、精研少林、形意、八卦等拳種。少林拳撃世莫当、動迅静定力蘊藏、蔡君得之制强梁;柔非終柔剛需剛、剛者先折柔転強。


★YouTubeで簡単に映像を探せると思っていたのですが、これくらいしか。。。


by takeichi-3 | 2019-01-02 23:57 | 偉人たち | Comments(0)

岳家拳。。。内家拳源流

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崔仲三老師による伝統楊式太極拳講習の最終日となる今日、形意拳老師の追悼記事が載っている中華武術を持参。

二十年以上もの間、私の太極拳を見ていた崔老師に、ようやく評価の言葉をもらえるようになってきていたので~雑誌を見せながら、「北京にいた頃は、毎日、この老師の元に通っていました」「あぁ。知っている。良い老師だ」「あの頃は、自分の力不足で王老師が教えてくれたことを正しく行えずにいましたが、規律の精度が上がるにつれて、理解、実現できるようになり~その教えの価値も分かるようになりました。“十年~基本が身につくまでに必要な時間(理解に至るまでに必要な最低時間)”と崔老師が言っていた言葉に納得しています~で、で、現在の私の動き、どうでしょう?」と尋ねたところ、「背中が丸過ぎる」「含胸を意識して行うようにしているのですが~」「時として、虚領頂頸が失われそうな位丸くなっている~沈肩から松(自然)で含胸が形成されるように」「噢。私の理解が不十分なようです」~その後、正しい状態をアドバイスしてもらい~体感~当面の課題が出来ました。φ(. . )


★内家拳源流と言われている南宋の名武将~「岳飛=武穆」
とりわけ槍に優れていて、彼が著した「武術秘伝書(武穆王拳譜)」を手に入れた姫際可によって復活されたのが形意拳。以降、陳式太極拳や八卦掌の起源に影響を与えている拳です。

岳飛が伝えた岳家拳を継承している湖北省黄梅県聂福俊村。村の男性は全員が習武~稀有な武器等が登場するので楽しい映像になっています。あ、村の学校では学岳家拳の時間があります。


by takeichi-3 | 2018-12-10 23:59 | 偉人たち | Comments(0)

形意拳老師。。。追記&雑記

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形意拳練習の闖入者。
お爺さんに連れられて公園にやってきた子。ずっと休むことなく、誰かしらの後ろを歩いてました。

動きがまだまだなくせに、先輩の動作に対して、「歩幅、もっと大きくしないとダメだよ」
と生意気発言。首を傾げていたら、お爺さんが、「私が教えている」と、、、

老師が帰った後、休んでいた私のところにやってきたお爺さん~
「さっきも言ったけど、前足の膝が伸びる癖があるから直さないと。実践では相手に崩されやすくなる。形意拳は、胸前で腕を搾って気を溜めこんで攻撃していき、後ろ足の落しを使って相手を打ち崩さなければならないんだ」と、動いて見せてくれましたが~あ。あ。攻撃的~(((/-_-)/

私が形意拳老師を好きな理由は、その動き。相手を打ちのめすことはなく、相手をいなしている動きだから。ちょっと腕を押しただけでも、相手の内臓まで振動させてしまう威力の持ち主なのに~五行拳を練習している動きは、相手の動きを見極めて防御で腕を出すと同時に、攻撃してきた相手の腕に貼りついてバランスを崩させるだけ。

そして、十要として著されている武術熟語等の体現を目にできる幸せも。

「一動無動=一つが動き出す時、動き出さないところは無い」
単に手と足が一致しているだけではなく、呼吸、意識に始まり、関節など身体の各部分を細かく使い分けているのに、最後はピタッと全身が停まります。

「気貼脊背」
背骨が後ろに貼りだすと、後ろの劲力を使える(発気など)ようになるという意味合いだけだと解釈していましたが、老師の背中を見ていると、精神を背中に貼りつけたままで意識&気をコントロールしています。

今回の北京。練習最終日に自分の欠点を思い知らされましたが、目標はハッキリ、クッキリ!


≪雑記≫

★いつもお世話になっている新聞売りのオバさん。いつもの「北京青年報」を求めて近づいたら、

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「おはよう、いつものね~。アラ?無いわ」と、隣のご主人と思しき男性が、「さっき、最後の一部を売ちゃった」「もう!この人が毎日買いに来るの知ってるでしょ。しょうがない、向こうの店から取ってくるわ」「いえ。いえ。そんな~大丈夫ですから」「2分で帰ってくるからね」と、駆け足で~そんなに気を遣ってくれていたなんて、気づきませんでした。(T_T)...


★懐かしい、フラフープ。明らかにダイエットと~という感じでしたが、、、

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今日、形意拳の練習中に見知らぬオジさんが、「この運動をすると、どんな効果があるんだ?」と、
「始めたばかりなので、よく分りません」「どこが良くなった?」「元々、元気なので」「あ~そうか、ダイエットの為だ!」「この身体をよく見て。そんなわけないでしょ」「そうか、そうか、ダイエットか~」と、オジさん、勝手に決めつけて去って行きました。
ちょっと待て!外国人の中国語を面倒くさがらず最後まで聞け!~(#-"-#)-c<((((/^_^)/


★オジさんといえば、北京では有名な語学学校「地球村」

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武術練習の都合で、午後のクラスを夕方5時から始まるクラスに切り替えた初日。
同じレベルとはいえ、前のクラスの開始は4月3日。現在は8課まで進んでいるのに、新しいクラス~開始は3月17日なのに、基本一日一課のはずなのに、まだ9課???

ま、合わなければ、換班は可能なので~参加して原因に納得。 生徒は~韓国のオジさん、オーストラリアの少しオジさん、インドネシアのマイペースな女の子、殆ど話さない韓国の女の子、日本の学生カップル。特にオジさんたちが自由奔放。授業中に疑問が閃くと(内容に関係があろうと無かろうと)討論が始まるのです。

昨日の疑問~「位」⇒客数の丁寧語に対して、オーストラリア人が「これは、犬や猫には使わないのか?例えば、レストランに犬を連れて行った時とか」と老師に質問~「犬はレストランに入れません」「イギリスとかじゃ、犬を大事にしているし」「ありえません!」「いや、例えばさぁ~」「ここは中国。絶っ対に無い!」 決して負けてはいない老師~で、決まり技は韓国オジさんの「そうだよね。それに、犬は食べ物だし~」

老師によると「初めは、韓国人のオジさん一人が奇怪だった。その後、オーストラリア人がやって来て、もっと奇怪になった」とか。本当に面白い~ので、暫くお世話になることにしました。


★で、インドネシア人。

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30度超の気温。爽やかインド綿を着用してみました。
そんな今日、地球村の教科書には、“牛骨頭=牛の骨”という単語が~日本人、韓国人は漢字を見ただけで比較的直ぐに分かるのですが、インドネシアのジェニーとアミルが理解するには時間が必要。鶏骨頭、人骨頭、狗骨頭と続けていた老師の言葉に、突然閃いたジェニー~「wushi穿着衣服的図案是魚骨頭=wushiが着ている服の模様は、魚の骨!」
おい、おい、違うだろ~これ、日本では花柄というのだ ( -"- )!


★スミマセン~実は、今日放映の「中国新歌声」の最新情報が次々とYouTubeにUPされていて~雑談でお茶を濁してしまいました。。。(((((/-_-)/
この番組出身の出世頭(?)は「張磊」


by takeichi-3 | 2018-08-03 23:59 | 偉人たち | Comments(0)

陳照奎。。。青龍出水

馬虹老師(陳式)のインタビュー記事の中で使われていた師匠「陳照奎」の写真が凄くて。
★青龍出水。。。

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「四平八穏、陳氏太極拳有道:”形同座在凳子(ベンチ)上打拳“」
一代宗師陳照奎演練的陳氏太極拳一路83式中的青龍出水招式、架式低穏舒展標準、運用両手、両腿的纏丝劲、将各个関節貫串得如一条線、此式的発劲属于四隅手中的挒劲、拳照显示出深厚的纏丝劲、寸劲及周身一家的太極功夫、与陳式太極拳75式老架中的青龍出水有点不一様、是青龍出水的標準照、这才是正宗的陳家家傳拳架。


★伏虎。。。

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这是由陳照奎宗師演練的陳氏太極拳二路71式炮捶中的伏虎招式、拳架練得很低、表現出左右前后及上下的大蓄身法、在開的姿勢下形成蓄劲、蓄含強大的弾抖力与纏丝劲、功夫深厚純正、是正宗的陳家家傳功夫。


★現在では太極拳名家となっている弟子たち(陳小旺、王西安、朱天才、陳正雷等)の青龍出水。





★以前に紹介していますが、改めて。。。

「陳照奎(1893~1971)」⇒陳氏太極拳第十代伝人。叔父陳発科より学ぶ
1941年、イナゴが大量発生して穀物に多大な被害を与え、その翌年には河南省一帯の大旱魃~等で村民たちの暮らしは逼迫。飢えを凌ぐために草の根や木の皮を食べたり~青壮年たちは村を離れて出稼ぎに行ってしまい、練武者が激減していった。その現状を目の当たりにして、陳家拳の失伝を恐れて帰郷。

当時の弟子~王西安、朱天才、陳小旺、陳正雷、陳德旺、王天宝など三十人余りが集まった。

1966年。文化大革命時~太極拳は大毒草と称され、陳家の先祖を祀る堂や位牌は破壊された。
74歳になっていた陳照奎は迫害され、共に練拳した者たちは「搞小集団」と批判されて、自由に練習が出来なくなっていた⇒「夜聚明散=夜になると集まって練習、朝には解散」

1967年。陳照奎には四つの罪が問われていた。
第一は地主。第二は国術教官。第三は国民政府で教拳していた時に国民党に加入。第四は旧資産階級による反動組織に加入。

幾度かの批判に晒され、耐えきれなくなり~1967年初春に井戸に飛び込んで自殺を図る。
水が浅かったために命を落とすことはなく救出されたが、井戸の底に設置されていた竹筒が足に刺さり怪我を負った。

批判対象者の陳照奎を敢えて治療しようとする医者はおらず、陳正雷と陳春雷は家に連れ帰って塩水で傷口を洗ったり、酒で消毒したりしたが~結果は芳しくなく、片足は使えなくなってしまった。

1969年。人民日報に、「体操、球技、ランニング、登山、水泳、太極拳等の運動を行おう」という毛沢東のスローガンが掲載された。

この記事を読むや否や、新聞を握りしめて陳正雷を探し出し~
「小雷、毛主席が太極拳をやってもいいと~練拳は法を犯すことにはならない」
と、村の青少年たちに練拳を禁じる必要がなくなったことを喜び、資料を整理~「理論十三篇」をまとめた。

1972年。12月30日、80歳で逝去。
by takeichi-3 | 2018-07-23 23:59 | 偉人たち | Comments(1)

中医の始祖。。。神医≪扁鵲≫

中国中央テレビでシリーズ放映されていた≪国宝档案≫。興味深い話題が多い番組でした。

★中医の始祖と呼ばれている≪扁鵲≫の生涯。。。




四川博物館に展示されている、漢代に作られた最早最完整な中医針灸人体模型。
その表面には、経絡線とツボが明確に描かれています。

針灸、中国人にとっては、一種の起死回生的な神奇な医術。この由来は中医の始祖と呼ばれている扁鵲に由来しています。

扁鵲は、中国春秋戦国時期の医家。
中国西漢期の史書≪史記≫によると、扁鵲は渤海郡鄭人(現在の河北省滄州)出身。
青年時、管理していた貴族の宿泊施設で名医長桑君と出会い医術を学び、後に、各地を巡り治病救人。

弟子と共に虢国に至った時、人々が祈祷を行っていた。一体全体?尋ねてみると~太子が病に侵されて昏睡状態に~太子が死んだと思った国王が、太子の為に祈祷を命じたから。

医者の直感で、一人の侍に太子の様子を尋ねたところ~「太子の病は、血気不順内邪不能外泄、正気圧不住邪気により突然亡くなった」~それを聞いた扁鵲は、「私が太子を直します」~これといった、特別な風采をしているわけでもない扁鵲を軽んじた侍は~「おまえの医術は死人を蘇させることができるのか?」~「私を信じられないというのなら、太子の様子を見てきてください。その太腿をさすって体温が感じられたら、鼻息を確かめて~毛髪を使って微弱な呼吸を認められたら、蘇生は可能です」

結果は扁鵲の言った通り、即座に宮中に呼び入れられ~太子の身体を仔細に検査した後、針を用いて治療。弟子たちには按摩を命じ~暫くすると、太子は目覚めた。

是を目の当たりにした人々は驚き~扁鵲が太子を蘇らせたという噂は、瞬く間に広まっていった⇒「扁鵲神針」

早期の針は石製。竹製もあった。時代の変遷とともに~春秋戦国時代になると金属製(初期は銅)も出現。石や竹よりも効果のある金属針。針治療は飛躍的に行われるようになっていった。針灸を利用していた扁鵲の治療法は、以降の人たちに大きな影響を与えた。

多くの人が扁鵲を捜して治療を乞うようになったが、彼には拘りがあった⇒巫術治療を信じている人には治療しない⇒衛国を訪れた時、当地に重病人がいると聞いて治療を施してあげようと自ら尋ねたが、その父親は軽蔑的な面持ちで「あなたには直せない。既に人を呼んでいる」~父親が呼んでいたのは巫術師。扁鵲の前で呪文を唱えたり~治療を開始したが、結局病人は死んでしまった。助けられる命が奪われるのを目にして虚しくなってしまった。

当時は巫術による治療を信じている人が多く~扁鵲が行った太子への治療も巫術によるものだと思い込んでいる人もいた。

「私は、死人を蘇らせたのではない。太子は、まだ死んでいなかった。回復させただけ」
このようなことから、巫術を信じている人には治療しなかった。

多くの国を渡り歩き。。。
当時の医者には、専門の科などは無く、全ての病を治療しなければならなかった。
邯鄲では婦人病を、洛陽では眼病・耳病等五官を、咸陽では子供の病気を~というように多くの臨床経験を重ね、針灸、按摩、服薬等の医療手段を構築していった。

診断に際しては、中医の四診法を利用。
①望診:目で見て患者の様子を観察。
②聞診:臭いを嗅ぐ、耳で聞く。
③問診:病人や家族に質問。
④切診:脈を聴く、胸腹を押す。

普国では、家臣より呼ばれて趙簡子の治療を。
数日前から昏睡が続いていて、薬も施せない為、他の医師たちも治療する術がなかったという。先ずは脈を~様子、呼吸を調べて、周囲の人に質問。職務が忙しくて疲労が蓄積しているのが原因だと診断し~「心配には及ばない。彼の病は疲労によるものだから~秦国の穆公も同じような症状だったが、七日間安静にしていたら回復した。それと同じ病だから、やたらに薬を与えたり巫術を施したりせずに~二日半後に意識が戻った。

太子と趙簡子の二人を治療したことで、扁鵲の医術は認められるように。。。

泰国の武王を治療しようとした時、大臣は扁鵲の医術を信用せず武王に治療を受けないように進言。これに腹を立てた扁鵲は武王と直接治療について話し合わなければ~医術を理解していない人を交えて討論するのは治療の妨げになるからと告げ、王宮を去る。

宮中には、李醯という太医令がいて(彼が治療に当たったが効果は得られず、結局は、扁鵲により武王は回復)、扁鵲の医術が高度であることを知り、自身の地位が脅かされるのを怖れて刺客を放った。。。

扁鵲は亡くなったとはいえ、その医術は弟子たちに引き継がれて中華文明の瑰宝となった。

※李醯~扁鵲刺殺の首謀者だと知った民衆に襲われ、悲惨な最後を遂げたそうです。
by takeichi-3 | 2018-06-10 23:58 | 偉人たち | Comments(0)

形意拳老師。。。練功(功夫)の本質

北京八卦名人≪劉敬儒=国家級非物質文化遺産代表性項目代表性伝承人名単掲載≫の≪武之路60年≫という文章の中に懐かしい≪王世祥老師=師兄≫の名を見つけ~思い出を辿ってしまいました。


★2009年6月~私が王世祥老師に出会った翌日のブログです。

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昨日、宗維潔老師から紹介された形意拳老師のことを調べるにつれ、
半端ではない人物だと~(^^;


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王世祥(京城隠士)。河北省三河县生まれの78歳。
1945年、通臂拳大師張策老師(北京)の弟子だった王殿元老師に五年間五行通臂拳を習う。

1951年、形意・八卦大師駱興武老師の下で十年近く修行。苦練の後、全てを伝授される。その後、それに甘んじることなく会得したことを基本に手法の変化と攻防を研究し続けた。

駱老師は死の間際に独立(自分の派を作る)することを許した。

自分なりの基礎を築いてからは、武術界の友人たちと技を磨きながら実証を繰り返した。その過程で、相手を傷つけそうな場面に出くわすと、手を止めるので自身が傷つくこともあった。

「誰かと組み合うのは自身の拳を検証すると同時に相手の長所を学ぶ為。勝ち負けにこだわると心のバランスが崩れるし、勝敗は武術界の団結に悪影響を与える。“天下武術一家”。各家それぞれ表れが異なっても到達する場所は同じ。どの流派も優れている。本物か偽物かは手を合わせてみれば直ぐに分かる。」と、、、

老師は武術の伝統性を大切にしている⇒実践的武術。老師が主張しているのは、、、
「武術の発展は、伝統の基礎があってこそ。その歴史を顧みても拳が改変したということはない。生徒が老師の技術を全て習得した後、それを研鑽し続ければより優れたものになる。そして、時には、先人が思いも及ばなかった技法を編み出すことになる」

老師の指導方法は開放的。指導を希望する人には誰彼の区別なく指導する。
「門内、門外の区別はしないのですか?」という質問に、笑いながら「私にはこれといった特別な能力はない。ただ功夫と経験があるだけ。それは、誰でも功夫を心掛けていれば手に入るもの。私がどんなに教えても練習しなければモノにはならない。あなたたち(生徒)には分からないかもしれないが、誰にでも教えているとはいえ、教え始めてから暫くは生徒を試している。そのうち、私の目に適った者にのみに指導を与えている。通常は、習い始めてから三年は基本練習。その間に、武術を本当に愛しているか、良い素質(性格)を持っているか、我慢強く練習を続けていけるかを見極める。三年を過ぎた頃が本当の入門期。それからが本当の指導の始まりになる。」

老師の武侠談、、、
ある日の夕飯後。宣武芸園内で練習していると二人の中年男性がやって来た。
「バトミントンをやるから場所をあけろ」と、老師は二人に理を諭したが従わず、酒気を帯びていた二人は老師に向かい手や足を出してきた。自身は手や足を出さずに身をかわすだけ。二人はその服にすら触れることもできず息が上がり、最後にラケットを投げつけてきた。が、これも軽くかわしてしまった。そうこうするうちに人垣ができ、誰かが警察を呼んで事なきを得たが。。。

後から、この様子を伝え聞いた弟子たちが、「この二人を見つけ出して懲らしめなけらば」と言うと、「やっつけようと思ったら、ちょっと手を出すだけで簡単に終わっていたよ。彼らは普通の人(武術家ではない)。私に怪我をさせることもできない。武術家が手を出すとなると大怪我だけでは済まないこともあるからね。練武術は自分を助ける(養う)ものでなければ。悪い運用をしてしまうと、今まで積み上げてきたものを台無しにしてしまう。」

老師がいつも生徒に言っていること、「あなたたちの武術は私が伝授したもの。それに対して、私には責任がある。もし、あなたたちの武術が悪いことに使われたとしたら、その責任は私にある。“手を出すのは最終手段”。本当にどうしようもなくなった時に、やむなく使うもの。私にとって、相手を倒すのはとても簡単。けれど、尊敬や愛を得られるのは、高尚な人格があってこそ」

★北京滞在中、宗維潔老師からは多くの太極拳規律を学び財産とすることが出来ましたが、それ以上の宝となっている体験は、王老師と共に宣武芸公園(芸=武芸)で過ごした時間⇒毎日、数十年変わることなく練習を続けている様子を傍らで見ながら、練功の本質~積み重ね(功夫)の貴重さを感じ取れたことです。
by takeichi-3 | 2018-05-15 23:58 | 偉人たち | Comments(0)

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