カテゴリ:偉人たち( 132 )

陳発科~色々。。。

張三豊(武当山系太極拳始祖)が直接教える太極拳絶学だそうです。金庸の武侠小説の中、太極拳は神秘なものに~(^^;

★あ。流石に絶学、外に漏らされないよう~動画早くも削除。。。(((((/-_-)/


f0007580_23474051.jpg

陳照奎老師の写真を見て、その“膻中&関元内含”の深さに気づいてから、呼吸筋コントロールによる気沈丹田(体幹&コア強化)を日常生活でも心掛けるようになり一年~太極拳以外のスポーツでも、その成果を享受できるようになっています。あ。今回の北京行きで、地壇公園の伝統拳老師に収腹の深度を調整してもらってから、肋骨の可動域が広がりました~♪


で、陳照奎老師の父親「陳発科」~陳式太極拳普及の為、陳家溝より北京に来てからの様子など。

陳発科(1887-1957)。陳氏十七世(太極拳第九代)。陳氏十四世「牌位大王」陳長興の曾孫。父延熙は陳氏太極拳の一代大師。

19世紀50年代、陳家溝で拳を学んだ楊露禅が北京にやって来て、太極拳を教え始め~その子、楊班侯と楊健侯~孫の楊澄浦の三代に亘る努力の下、太極拳は、宮廷~北京天津~と広まっていったが、当時、陳氏拳は殆ど知られていなかった。

陳発科が北京にやってくることになったきっかけには諸説ありますが、そのうちの一つ⇒1927年国民党政府が南京に移り、北京体育学校で太極拳を教えていた楊澄浦や呉鑒泉等は、北京を離れて南京や上海へと教拳に向かった⇒体育学校の太極拳教練が足りなくなり~許禹生は、楊露禅が拳を学んだ陳家溝から陳氏拳継承者の陳照丕(績甫)を教練として呼び寄せた。

多くの武林高手が集まっていた北京。腕試しを挑んで来る者も多く~拳で生計を立てていくのは大変なことだった。勝敗は自身だけではなく、陳氏拳の名声にも関わることと考えた陳照丕は、叔父の陳発科に、北京に来るよう要請する手紙を書いた。

1928年、北京にやって来た陳発科は、挑んでくる相手を悉く倒して存在を確かなものとした~名声が高まるにつれ、教えを請う者も増え~北京において、三十年に亘り陳氏拳を教え~陳氏太極拳の発展に貢献した⇒北平(北京)国術館館長の許禹生や血気盛んだった李剣華、沈家楨、洪均生、雷慕尼、田秀臣、陳照奎、馮志強等が陳発科に学んだ。

以下は、高弟楊益臣の弟による回顧です。
北京西単にある習武の習慣を持つ家に生まれた楊兄弟。兄弟五人のうち三人が北京電報局で働いてた。当時五十歳前後だった電報局の主管劉慕三は、呉式太太極拳宗師呉鉴泉の高弟。二十年以上呉式太極拳を学んでいた呉式と楊式太極拳の達人で、北京では有名だった。

国術が大好きで、毎日、電報局の職員たちと練拳。楊益臣と義弟李鶴年もその中にいて、呉式と楊式太極拳、推手を学んでいた。中でも、兄の楊益臣が秀でていた。劉慕三は、何時も兄と私を連れて西斜街の国術館を訪れては、館長の許禹生(形意拳、呉式と楊式太極拳のいずれにも秀でていた)と切磋琢磨していた。太極拳が河南陳家溝から伝わったことを知っていた劉慕三は、陳家溝に行きたいと願っていたが、時間を作れずにいた。

1928年、陳家溝から北京に教拳にやって来た人物がいると聞き喜んだ。以前は、外には伝えないと言われていた陳氏拳~自分たちが陳先生を招いたら、応じて拳を見せてくれるだろうか~などなど話していた時、李鶴年が「試してみよう」と~劉慕三の車で陳発科を迎えに行った。

劉慕三の家に招かれた陳発科。挨拶が済むと、陳式太極拳の一路と二路を連続して披露した。陳発科を滞在先へ送り届けた後、劉家にいた十数人は喧喧諤諤~「あれが太極拳?」「太極拳は舒展缓慢、以柔克剛なものなのに」「一套路を通すのに二十分はかかるはずなのに、二つの套路が十分もかからずに終わってしまった」「太極拳じゃないのでは~楊氏と違い過ぎる。震脚も跳躍もあるし、声も出している」「民間に伝わる拳の一種じゃないか?」

その時、劉慕三が、「気がつかなかったか?動作が速いとはいえ、旋回と圓で動いている。発劲があっても、放松している。発力の時に声を出しても、脚下には根がある。表演を終えた後、息が上がることもなく、顔色一つ変わっていない。功夫があるのは確かだ。あれが本来の陳家拳なのだろうか。取りあえず、拳式を教えてもらい~しかる後に、推手を請うことにしよう。私よりも強かったら、続けて学ぶことにする。先ずは、様子を窺おう」

最初に習い始めたのは十人前後。皆、電報局員だった。一路を習い終えた劉慕三は、推手を願い出た。北京の武術界では有望視されていた劉慕三だが、陳発科老師の推手は、今までに経験したことがないものだった。二人が手を合わせるや否や、劉慕三の歩みは乱れに乱れ幼子のように翻弄され~腕関節の靭帯を傷めてしまった。

「劉先生が力を入れたので、うかつにも加減ができなくなってしまった。松開転圓を維持していれば自然に化解出来るので、互いに傷つくことはない」

北京に来たばかりの陳発科は、天橋に出かけては各式拳や摔跤、中幡などを見て研究していた。これは、新しい拳架を創るのに大いに役立った。

ある春節、妻子が故郷に帰ってしまい、一人北京に残っていた陳発科を我が家に迎え入れた。皆が集まって歓談している時、李鶴年が質問した。「誰かが快速で拳を打ち出してきた時、どう対処しますか?」「ここに座っている私に向かって、打ってみなさい」

言葉通りに拳を打ち出した李鶴年は、目にもとまらぬ速さで飛ばされ~部屋の外まで飛んでいきそうな勢いだったが、背中が門の簾に触れたところで陳発科に掴まれ引き戻された。

一体何が起こったのか?誰にも分からなかった。李鶴年は顔面蒼白になっていたし~後に、「拳を打ち出して~打ったはずなのに、陳師の身は空で~綿花の中に入り込んでいくような~そして、飛ばされていた。先に飛んでいたのに、陳師は椅子に飛び乗って私を掴まえた。心服、心服~」

陳発科は、暇さえあれば練拳していた。歩きながら、座りながら、いつもイメージを働かせて動いていた。

早朝五時、私たちが練習会場に到着する頃には、陳老師の練習は終わっていた。毎日、二十回は套路を通していた。弟子たちには、先ず、目の前で套路を通させる。その後、老師が説明をして実際に動いて見せ、細かく弟子の間違いを糾正~それから運用と応用。弟子たちが練習をしている傍ら、タバコを吸いながら椅子に座り~ 「ヨシ!」「ダメだ!」~劲は肱にあるのか腰にあるのか~推手はどう使う~気が下まで沈みきっていない~腰の回し方は、それでいいのか?~虚領頂劲の加減は?手取り足取りという、辛抱強い教え方だった。

当時、陳発科の長男陳照旭も一緒に練習をしていて、子供ながらに推手が上手かった。ある時、練習仲間の一人が、「あんな小さいのに功夫があるなんて、きっと老師から秘訣を教わっているんだろう」と言ったが、そんなことは無い。夜中過ぎに起こされて、午前三時位から老師と共に練習をしていた。テーブルより少し高いくらいの背丈の子供が、大人たちと同じように容赦なく仕込まれていた。

陳発科の教え方は、誰に対しても同じだった。「技を隠したりはしていない。教え方も、自身の修行もまだまだなのに~隠すべき何があるというのだ?」

北京の誰もが、その武徳を称え尊敬していた。

≪陳発科≫
楊露禅の師匠≪陳長興≫の曾孫。父陳延熙の晩年に生まれた息子⇒兄が二人いたが、共に伝染病に罹り亡くなっていたこともあって、家人たちは彼を溺愛~好き放題に食べさせたりしていたので内臓が弱く、いつも発病していた~練拳が体を強くすると分かっていても、虚弱体質を理由に十四歳になるまでは本格的な練習はしていなかった。

当時、父親の陳延熙は袁世凱の元で教拳を担っていたので家にはおらず、従兄が留守宅を守っていた。体格が良くて、拳も相当だった従兄~当時の陳家溝でも上級レベルの腕前だった。

ある夜、数人の陳氏年長者たちが陳発科の家で雑談していた。話題が家伝の拳に及んだ時、「先人たちの武芸を引き継ぎ高手となった延熙だが、それも彼の代で途絶えてしまうな。発科は十四歳になったというのに、あんな風に病弱では功夫を成さないだろう」と話すのを聞き、自身を恥じた発科は、“伝家の拳を自分の代で途絶えさせてはならない~少なくとも従兄を超えなければ”と思ったものの~従兄と同じペースで生活(食べ、眠り、働き、練習)していると、従兄にも同じだけの力がついていくから、いつまで経っても超えられない~どうしたらイイのか?と悩み、夜も眠れなくなり、食欲も落ちていった。

ある朝、従兄弟と二人で田んぼに向かう途中、農具を忘れたことに気付いた従兄から、「走って、取ってきてくれないか~直ぐに追いつけるように、私はゆっくり歩いていくから」と言われ~農具を手に駆け戻って来て気づいた⇒従弟より多く練習すれば、彼を超えることが出来る。

その日から猛練習を始めた。従兄と同じように練習するだけではなく、従弟が昼寝をしている時や夜~床につく時間は同じだが、二時間ほどしてから起きだして寝室で練習⇒十七歳の時まで三年間、練習を続け~遂に従兄の知るところとなった⇒いつも一人きりで苦練をしていた訳ではなく、時には、叔父たちに推手の指導を請うこともあった。しかし、腕の立つ従兄には言い出せずにいた。

従兄は、「きちんとした練習をしなければ、自分勝手にやっていると癖がついてしまい、戦う時の弱みになる」と。

三年の苦練を積み、丈夫になっていた発科の身体は正常に発育~背は伸び、体格も良くなっていた。功夫も、レベルアップしていて~自分がどれだけ進歩したのかを試してみたくなり、従兄に推手を申し出た。従兄は笑いながら言った。「以前は痩弱だったから、他の従兄弟たちと同じように扱っていなかったけど、今なら、倒しても問題ないくらい丈夫になっているな~」

手を合わせ~従兄は、三回連続で発劲を仕掛けたが、共に発科の反撃に遭って倒された。三回倒され、発科の功夫が自分を超えたと悟った従兄は、悔しげな口調で、「私に及びもつかなかったお前が私を超えるなんて、どんな秘訣があるんだ?」「父親は不在だし、特別な秘訣なんてない。この三年の苦練の成果だけだ」

父親が家にいなかったとはいえ、幼い頃から、その指導方法を傍らで耳にしていたので、何をすべきかを理解していたのだろう。そして、叔父たちから学んだことも多くあったのだろう。同じように陳氏の拳を学んだ二人の知識に差はなかったはず。「秘訣なんてない」とはいえ、既に自身を武林高手だと思い自惚れていた従兄と、それを追い超す為に多くの時間と体力を費やした発科。

結論~「苦練なくしての成功はありえない」⇒太極拳史の中で、教訓として用いられているという有名なエピソードだそうです。

by takeichi-3 | 2019-06-30 23:55 | 偉人たち | Comments(0)

虚領頂頸~内劲体感の第一歩。。。

f0007580_2345020.gif

虚灵頂頸、虚領頂劲とも頂頭懸とも称されている虚領頂頸。その要求が満たされていないと、沈肩墜肘等の身法規律が正しく連動できず、立身中正が不完成となってしまいます。

太極拳規律の質問を受けた時、最初に整えて体感させるのは虚領頂頸から下松沈へと繋がるライン。正しく整えられた時に生じる脊椎の上下拉開(節節貫穿)感⇒内劲体感の第一歩。

★虚灵頂頸~数多く中国書籍の文章を訳していますが、その初期のものを。。。

その要求は、舌先は軽く上顎につける。第三、四節頸椎は後ろへと向かう意識を持つ。首は後ろをシャツの襟に押し付けるような感じで起こす(脳戸穴=首後ろ玉枕の中央辺りがフックに懸かっているような感じ)。百会穴は上へと向かい頂きとする。これが正しく出来ると、顎は自然に収まる。

例えば、頸椎を意識せずに顎を収めたとしても首が前に倒れてしまうので、中正の要求を満たすことができない。太極拳練習時に要求される中正安舒に大切なのは、脊椎の中正。

目線は前方に、聴力(耳)の集中は後上にすることによって気持ちを奮い起こすと同時に大脳を素早く安静に保つことが出来ます。これは、「眼線が前」と対抗する反対方向への力として「聴覚は後ろ」となり⇒太極拳の“有前必有后的”という拳理要求を満たすことになります。

意為主帥⇒まず、自分自身の思想(=雑念)を取り除き、気持ちを落ち着かせる⇒精神の放松。精神の放松が全身(外見)の放松を導いてくれます。虚領頂頸を作る=精神放松が得られます。この時に現れる放松は、力なく崩れ落ちそうな状態ではありません。松の木を思い浮かべてください。緩やかな曲線を描きながらも、天と地を貫いている力(意識)が感じられます。

「太極拳は矛盾運動。上下、前後、行きたい方向と逆の力の作用で動いているということを考えなければならない⇒矛盾による統一運動」例えば、虚領頂劲⇒頸の力を抜いて頭を上に。これに関しては、呉式で使われている“懸頂弛項”のほうが的確な表現かもしれません。

頭は風鈴とか海に浮かぶ浮玉感覚で全身を吊り上げている⇒力を入れて頸を上に伸ばすのは間違いです。これが出来ると、頭から下は自然に松開(関節の一つ一つが伸び開いて)して沈む⇒気沈丹田を誘導する=虚領頂劲と気沈丹田の相互作用⇒異なる方向に引っ張りあう感覚(拉开=放長)が生じます。

虚領頂劲が出来る⇒中枢神経の緊張も緩和⇒精神が安静⇒意識が通し易くなるので勢いが出る⇒スピードが早くなるというわけではなく、力が意識によって自由自在(活発)になるという意味。
by takeichi-3 | 2019-06-28 23:55 | 偉人たち | Comments(0)

ブルース・リー武術哲学。。。

ブルース・リー武術哲学~という表現で、彼の残した言葉を色々と分析しているファンがあるということ、今になって知りました。



李:来、踢(蹴)我。踢吧。
徒弟踢出一脚。
李:这不是表演,我跟你説(話)過、要利用你冷静的頭脳。再来一次。
徒弟:嘿。(踢時大叫一声)
李:我説的是要利用你冷静的頭脳、而不是憤怒、我们再来一次。
李:慢点、慢点、好,你放松了。你現在覚得怎么様?
徒弟:让我想一想。
李:(馬上用手拍徒弟的脳門)別想、快点。反応要快、就像是直覚地把手指向月亮。(再次拍徒弟脳門)記住、反応慢了就只能够看到手指、而决不能看到月亮的光華了。你現在明白了吗?
徒弟笑着微微点頭、然后向李鞠躬。
李:(第三次拍徒弟脳門)你在鞠躬的時候、眼睛不能够看自己、而要看対方。

《中国のファンが集めた言葉》
★誰かに打たれたのは恥ではない。重要なのは、どうして打たれたかを反省~そうであれば、より成長できる。
★マイナス思想はいらない。自分自身の発展の芽が摘まれてしまうから。
★目標とは、到達点ではなく、進んでいくべき方向を指し示している。
★失敗を恐れないで、最悪なのは失敗ではなく無目的になること。努力=敗は栄光となる。
★心を虚にして、形に捉われず、形を成さず。水のように。カップに注がれればカップに、瓶に注がれれば瓶に、ティーポットに注がれればティーポットに形を替える、溢れ出すことも、破壊することも出来る。友よ、水になるのだ。
★自身の身体をコントロールするには、先ず己の天性に逆らわずに。
★私が恐れを抱くのは、一万種の蹴り技を練習した者ではなく、一つの技を一万回練習した者。
★シンプルこそが成功へのカギ。
★緊張しながら物事を行うと、本来の能力を発揮できずに終わってしまう。
★他人の欠点などは簡単に見抜けるが、自分自身の優劣を理解するには一生の時が必要。
★堅硬な樹木は簡単に折れてしまうが、風にそよぐ、柔軟な竹や柳は折れにくい。
★規則を守るのは大事だが、杓子定規にならないように。
★思想と行動のバランスを大切に。考えているだけでは、いつまで経っても完成に至らない。
★知識ばかりでは足りない、運用が必要。願っているだけでは足りない、行動しなければ。
★優秀な指導者から彼が取得した真理を学んだとしても、学生は自身の内から真理を発現しなけらばならない。

by takeichi-3 | 2019-05-24 23:57 | 偉人たち | Comments(0)

武当玄武派、清風子道長。。。

パフォーマンスが評判の武当玄武派の道長「清風子」の表演、久しぶりに見ました。




湖北宜都長清観宣伝動画。。。




2007年は、こんな感じ。




軽功で有名な武当三豊派の「陳師行道長」との対練(拂尘対剣)




軽功。。。





by takeichi-3 | 2019-03-05 23:58 | 偉人たち | Comments(0)

新旧中国武術。。。

f0007580_20284147.jpg

お昼近く、春日和~みたいな天気になった今日の空はきれいで。駅のホームで電車を待ちながら、“そういえば、この見慣れた中野サンプラザも数年後には解体されてしまうんだなぁ”と思ったら、ついつい写真を撮りたくなってしまいました。


昨日は元宵節だった中華圏。あちこちで賑やかな催しがあったようです。
テレビでは、莱州武校の武術表演。




★新しい武術(最新パフォーマンス)のあとは、古い武術でも★

映画少林寺で師匠を演じた“于海”は螳螂拳の高手。実際に蟷螂を採取してきては、その動きを研究していたそうです。しっかりと、腰が活用されている動きです。




刀術に秀でていたという“徐其成”。初期の国家武術隊隊長を務めています。




内家三拳。。。太極拳、形意拳、八卦掌。




北京で学んだ王世祥老師の形意拳&八卦掌は、この流派(駱興武系)。それ以前には通臂拳を学んでいたそうです。


by takeichi-3 | 2019-02-20 23:51 | 偉人たち | Comments(0)

競技武術チャンピオン~孫培原。。。

f0007580_23531883.gif

湖南省芒果TVが武術チャンピオン孫培原の特集番組を制作~\(^^)人(^^)/



インドネシア開催のアジア大会の数か月前に脚を負傷~それをカバーしながらトレーニングを続けて、金メダルを獲得した話や、父親の希望で習武開始。辛くて逃げ出したことも。収入が少なかった父親は、彼の習武費用を借金で賄い~その姿を見て、成績が良ければ学費は免除されるからと頑張って~な子供時代の話も。

by takeichi-3 | 2019-01-28 23:55 | 偉人たち | Comments(0)

張三豊。。。

f0007580_23540316.gif

★ジェットー・リー演じる張三豊が太極拳を編み出すシーン。




★金庸の武侠小説の中では、「天下第一高手」として登場。。。




★諸説ある張三豊を中国中央テレビの番組「国宝档案」版。。。


by takeichi-3 | 2019-01-27 23:58 | 偉人たち | Comments(0)

蔡龍雲。。。

2015年に亡くなった、上海体育学院主任教授、中国武術協会副主任、著名な武術技撃家、中国武術9段、理論家、教育家である「蔡龍雲」をモデルとした舞台公演がスタートしているらしいです。



武功の高いガードマン。向かうところ敵無し~と名を馳せた父親から四歳から鍛えられた様子。

身為家中独子的蔡龍雲自然承担起了継承父親武術衣鉢的重任。剛満4歳、蔡龍雲便開始在父親的厳格要求下修練武術、先是腰功、腿功、裆功等基本功。他練起“迎面三脚”、左右腿,常常一練就是一百次、一口気三百腿、有時摔倒在地、也要爬起来再練。“那時候、‘馬歩桩’一練就是半个小時、大頂一拿就是1个小時。父親対我特别厉害、我家予備着両条藤鞭、我覚得我已経很売力気了、可父親老是不満意。”蔡龍雲説,那時年紀小、体力有限、一旦支持不住摔下来、藤条会毫不留情地落到我身上。“小時候、我手上、背上全是一条条的紫痕、天熱時我不好意思把袖子捋起来、”父親総是対蔡龍雲説、人要想有出息、必須接受鍛錬、吃苦、“所以我冬天从来没穿過綿袄、天気越悪劣越要在外辺練。”回憶起那些苦練基本功的日子、蔡龍雲唏嘘慨嘆:“那時候我每天早上四五点鐘起床練到七点去上学、下学回家放下書包接着練、一直練到吃晩飯。吃完飯歇一会儿、再从晚七点一直練到十点睡覚。”蔡龍雲説他小時候还曾経産生過離家出走的念頭、因為練功太苦了。

蔡龍雲没有辜負父親的厚望、9歳的時候他的拳術已相当精熟。迎面三脚、八歩連環、羅漢十八手、少林瘋魔棍、这些難度較大的功夫、他已経練得有模有様。之后、蔡龍雲輾転上海、広拜名師、精研少林、形意、八卦等拳種。少林拳撃世莫当、動迅静定力蘊藏、蔡君得之制强梁;柔非終柔剛需剛、剛者先折柔転強。


★YouTubeで簡単に映像を探せると思っていたのですが、これくらいしか。。。


by takeichi-3 | 2019-01-02 23:57 | 偉人たち | Comments(0)

岳家拳。。。内家拳源流

f0007580_22471225.jpg

崔仲三老師による伝統楊式太極拳講習の最終日となる今日、形意拳老師の追悼記事が載っている中華武術を持参。

二十年以上もの間、私の太極拳を見ていた崔老師に、ようやく評価の言葉をもらえるようになってきていたので~雑誌を見せながら、「北京にいた頃は、毎日、この老師の元に通っていました」「あぁ。知っている。良い老師だ」「あの頃は、自分の力不足で王老師が教えてくれたことを正しく行えずにいましたが、規律の精度が上がるにつれて、理解、実現できるようになり~その教えの価値も分かるようになりました。“十年~基本が身につくまでに必要な時間(理解に至るまでに必要な最低時間)”と崔老師が言っていた言葉に納得しています~で、で、現在の私の動き、どうでしょう?」と尋ねたところ、「背中が丸過ぎる」「含胸を意識して行うようにしているのですが~」「時として、虚領頂頸が失われそうな位丸くなっている~沈肩から松(自然)で含胸が形成されるように」「噢。私の理解が不十分なようです」~その後、正しい状態をアドバイスしてもらい~体感~当面の課題が出来ました。φ(. . )


★内家拳源流と言われている南宋の名武将~「岳飛=武穆」
とりわけ槍に優れていて、彼が著した「武術秘伝書(武穆王拳譜)」を手に入れた姫際可によって復活されたのが形意拳。以降、陳式太極拳や八卦掌の起源に影響を与えている拳です。

岳飛が伝えた岳家拳を継承している湖北省黄梅県聂福俊村。村の男性は全員が習武~稀有な武器等が登場するので楽しい映像になっています。あ、村の学校では学岳家拳の時間があります。


by takeichi-3 | 2018-12-10 23:59 | 偉人たち | Comments(0)

形意拳老師。。。追記&雑記

f0007580_21413413.jpg

形意拳練習の闖入者。
お爺さんに連れられて公園にやってきた子。ずっと休むことなく、誰かしらの後ろを歩いてました。

動きがまだまだなくせに、先輩の動作に対して、「歩幅、もっと大きくしないとダメだよ」
と生意気発言。首を傾げていたら、お爺さんが、「私が教えている」と、、、

老師が帰った後、休んでいた私のところにやってきたお爺さん~
「さっきも言ったけど、前足の膝が伸びる癖があるから直さないと。実践では相手に崩されやすくなる。形意拳は、胸前で腕を搾って気を溜めこんで攻撃していき、後ろ足の落しを使って相手を打ち崩さなければならないんだ」と、動いて見せてくれましたが~あ。あ。攻撃的~(((/-_-)/

私が形意拳老師を好きな理由は、その動き。相手を打ちのめすことはなく、相手をいなしている動きだから。ちょっと腕を押しただけでも、相手の内臓まで振動させてしまう威力の持ち主なのに~五行拳を練習している動きは、相手の動きを見極めて防御で腕を出すと同時に、攻撃してきた相手の腕に貼りついてバランスを崩させるだけ。

そして、十要として著されている武術熟語等の体現を目にできる幸せも。

「一動無動=一つが動き出す時、動き出さないところは無い」
単に手と足が一致しているだけではなく、呼吸、意識に始まり、関節など身体の各部分を細かく使い分けているのに、最後はピタッと全身が停まります。

「気貼脊背」
背骨が後ろに貼りだすと、後ろの劲力を使える(発気など)ようになるという意味合いだけだと解釈していましたが、老師の背中を見ていると、精神を背中に貼りつけたままで意識&気をコントロールしています。

今回の北京。練習最終日に自分の欠点を思い知らされましたが、目標はハッキリ、クッキリ!


≪雑記≫

★いつもお世話になっている新聞売りのオバさん。いつもの「北京青年報」を求めて近づいたら、

f0007580_21344810.jpg

「おはよう、いつものね~。アラ?無いわ」と、隣のご主人と思しき男性が、「さっき、最後の一部を売ちゃった」「もう!この人が毎日買いに来るの知ってるでしょ。しょうがない、向こうの店から取ってくるわ」「いえ。いえ。そんな~大丈夫ですから」「2分で帰ってくるからね」と、駆け足で~そんなに気を遣ってくれていたなんて、気づきませんでした。(T_T)...


★懐かしい、フラフープ。明らかにダイエットと~という感じでしたが、、、

f0007580_2235528.jpg

今日、形意拳の練習中に見知らぬオジさんが、「この運動をすると、どんな効果があるんだ?」と、
「始めたばかりなので、よく分りません」「どこが良くなった?」「元々、元気なので」「あ~そうか、ダイエットの為だ!」「この身体をよく見て。そんなわけないでしょ」「そうか、そうか、ダイエットか~」と、オジさん、勝手に決めつけて去って行きました。
ちょっと待て!外国人の中国語を面倒くさがらず最後まで聞け!~(#-"-#)-c<((((/^_^)/


★オジさんといえば、北京では有名な語学学校「地球村」

f0007580_802251.jpg

武術練習の都合で、午後のクラスを夕方5時から始まるクラスに切り替えた初日。
同じレベルとはいえ、前のクラスの開始は4月3日。現在は8課まで進んでいるのに、新しいクラス~開始は3月17日なのに、基本一日一課のはずなのに、まだ9課???

ま、合わなければ、換班は可能なので~参加して原因に納得。 生徒は~韓国のオジさん、オーストラリアの少しオジさん、インドネシアのマイペースな女の子、殆ど話さない韓国の女の子、日本の学生カップル。特にオジさんたちが自由奔放。授業中に疑問が閃くと(内容に関係があろうと無かろうと)討論が始まるのです。

昨日の疑問~「位」⇒客数の丁寧語に対して、オーストラリア人が「これは、犬や猫には使わないのか?例えば、レストランに犬を連れて行った時とか」と老師に質問~「犬はレストランに入れません」「イギリスとかじゃ、犬を大事にしているし」「ありえません!」「いや、例えばさぁ~」「ここは中国。絶っ対に無い!」 決して負けてはいない老師~で、決まり技は韓国オジさんの「そうだよね。それに、犬は食べ物だし~」

老師によると「初めは、韓国人のオジさん一人が奇怪だった。その後、オーストラリア人がやって来て、もっと奇怪になった」とか。本当に面白い~ので、暫くお世話になることにしました。


★で、インドネシア人。

f0007580_11581622.jpg

30度超の気温。爽やかインド綿を着用してみました。
そんな今日、地球村の教科書には、“牛骨頭=牛の骨”という単語が~日本人、韓国人は漢字を見ただけで比較的直ぐに分かるのですが、インドネシアのジェニーとアミルが理解するには時間が必要。鶏骨頭、人骨頭、狗骨頭と続けていた老師の言葉に、突然閃いたジェニー~「wushi穿着衣服的図案是魚骨頭=wushiが着ている服の模様は、魚の骨!」
おい、おい、違うだろ~これ、日本では花柄というのだ ( -"- )!


★スミマセン~実は、今日放映の「中国新歌声」の最新情報が次々とYouTubeにUPされていて~雑談でお茶を濁してしまいました。。。(((((/-_-)/
この番組出身の出世頭(?)は「張磊」


by takeichi-3 | 2018-08-03 23:59 | 偉人たち | Comments(0)

太極拳用品販売の傍ら~拳理を解明しています⇒カレンダー下の「三清」をクリック~お立ち寄り下さい。m( _ _ )m


by takeichi-3
プロフィールを見る
更新通知を受け取る