カテゴリ:武術各派( 206 )

今日も足技~戳脚(cuo jiao)。。。

昨日の潭腿と同じ頃に訳していた“北腿”の代表でもある“戳脚”番組も。。。



清の時代嘉慶18年、朝廷の監獄内。反乱を起こした天理教(八卦教)のリーダーの一人である粛宁戳脚の祖師≪馮克善≫が、牢獄を蹴破るという大胆な方法で脱走。

戳脚は、脚の攻撃力が優れている武術。その功法は、映画の中でも多く見かけます。≪少林寺≫の中、主人公が練習している脚法も戳脚。≪水滸伝≫の中に出てくる武松は、自分より大柄な蒋門神を脚技(玉環歩、鴛鴦脚)で倒します。これらは、戳脚の基本的な脚技。

水滸伝が≪施耐庵≫によって著されたのは明代。ということは、本来の戳脚は六百年前から存在していたことになりますが、今回は、馮克善が脱獄以降に広めた粛宁戳脚二百年の歴史を探ってみます。何故、脚技を多用するのかについては、河北省粛宁が平原だったことが理由に挙げられます。身を隠す木立が無かったので、草叢に身を屈めた姿勢でも戦える攻撃を考えたようです。

戳脚の練習は、地面を擦るように蹴る、爪先も攻撃を仕掛ける~や、武松から伝わった玉環歩や鴛鴦脚。そして、練習場に埋め込まれた丸太を蹴って脚力を強化するという祖師の脱獄に由来する訓練などがあります。

コーチの≪苗暁蘭≫は、第六代弟子。四年前から参加している全国武術大会では、毎回金牌を獲得しています。誰もが、最近の武術大会は表演が主流で中身が無い~というように感じていますが~練習用の木でその力を~蹴る時には、穿透力(節節貫穿)、整体力(周身一致)が必要。映像に現れる、常識を超えた脚力は祖師より伝わったものなのでしょう。

農暦の9月18日になると、粛宁戳脚の弟子たちが集まって二百年来の歴史を持つ拝祖師を行います。馮克善は、北京故宮に攻め入った反政府運動を首謀した犯罪者。故宮は清王朝の心臓ともいえる場所。多くの衛兵が守っているのに、簡単な武器を手にした二百人の農民たちが討ち入ったのです。これは、「卵を以て石を打つ」と言われるような行為です。このようなことは、漢、唐、宋、明時代にはありえないことでした。

この騒動を起こしたのは、天理教(八卦教とも呼ばれた)という組織。故宮宦官の数人が協力したこともあって押し入ることができたのに、折悪しく皇帝は不在。結局、掴まり、牢獄に繋がれました。農民蜂起が失敗した場合、そのリーダーたちは統治者によって処刑されるというのが歴史の倣い⇒死は免れない.どころか、脱獄などあり得ない、北京から逃げおおせない~という常識が破られたのです。

≪清史搞≫には、逃亡後に掴まった首謀者三人のうちの二人、林清と李丈成は掴まって処刑。一緒に脱獄した者たちも同じ運命をたどったと記載されていますが、馮克善に関する記載はありません。ただ、粛宁に伝えられている書物の中だけに祖師と記載されたものが残っているだけです。

≪清史搞≫に名前の記載が無いのは何故?この事件は、清朝にとっては大きな恥となる出来事だったからです。攻め込んだ農民の数は百~二百という説と十数人だったという説があります。ただの農民が、朝廷の腕利衛兵を破って攻め入ったうえ、脱獄~捕縛すら出来なかったのですから。

粛宁の人たちは、自分たちの拳は馮克善が脱獄後に住みついたこの地で広めたと信じています。農民たちは、お腹一杯に食べられればそれで良いというような考え方を持っていましたが~嘉慶年代、農民たちは飢えていたのです。

そして、この事件から間もなく~弟子たちは再び戦うこととなります。ある組織が河北からやって来て、共に西洋人と戦う仲間を集めに来たのです。ある組織⇒≪義和団=梅花拳の趙三多が首謀者だったことから“梅花団”と呼ぶこともある≫。この事件を描いている映画“神鞭”。近代武器を手にした西洋人に対して刀や槍が役立たなかった中国人たちが、辮髪を鞭のように使って効果を上げたことから、このタイトルが付けれました。

映画の背景となっているのは天津ですが、同時多発。河北でも多くの戳脚老師が立ち上がりましたが、どんなに脚を駆使しても西洋人の武器には敵わず~独自の長槍、羅四槍を創りだしました。

この使い方は、蛇の動きの特徴を参考にしています。明時代の武術家“威継光”による兵法書≪紀効新書≫で著されている槍の使い方、後手は槍の根部を持つ=“最も長い状態で使う”という常識を覆し、後ろ手は、根部から二拳分のところで握ります。蛇は、頭を攻撃されると尾で抵抗します。尾を攻撃されると頭で抵抗します。中間を攻撃されると頭と尾で攻撃~その動きを利用して槍を扱うのです。
by takeichi-3 | 2019-02-02 23:52 | 武術各派 | Comments(0)

潭腿(蹴り技)。。。

カンフー俳優の中でも足技に定評のある「梁小龍」の「十二潭腿」



潭腿は腿を主とした功夫。拳勢古朴。功架完整、剛劲有力、節奏明快、意気相合、精神充満、動作精悍、配合協調;招数多変、攻防迅疾、爆発力強。歩型多弓歩、馬歩、手法多拳法、掌法、腿法多弹踢、蹬端。弹腿技撃上下盘同歩出撃、令対手防不勝防。下盘発招講究腿三寸不过膝、招式小速度快、攻時無被克之虞。上盘進撃以劈砸招術最多、力度大,拳勢猛。套路有十路弹腿、十二路弹腿、六路弹腿、十八趟砸拳、花里弹、砸拳、短拳。器械有抜歩刀、連環刀、万勝刀、春秋刀、陰手槍、六合槍、八宝槍、扑鉤、燕翅镗、檀木橛等。対練有双人潭腿、短拳対打、単刀進槍、双刀進槍、三節棍進槍、三節棍進梢子棍、大刀進槍、単刀対練、白手奪刀等。


★あ…以前に、潭腿番組を翻訳していました。。。(((((/-_-)/

「南拳北腿」という表現がある中国武術⇒「南拳=洪拳、北腿=潭腿」。潭腿は、“腕よりも脚のほうが長い”という利点を利用した技⇒“拳三腿七”“拳是両扇門,全凭腿打人”



映画≪功夫≫の中にも出現する脚技潭腿。無敵ともいえるこの技はどのようにして生まれたのでしょうか。2007年に山東省で行われた武林会において、伝承者による起源説明がありました。

誰が創ったのか?それは、≪昆崙大師≫。元、五代后周の将軍。東征している時に后周は宋によって滅ぼされ、帰るに帰れなくなった彼は龍潭寺に至り髪を下ろし、崑崙大師を名乗るようになりました⇒潭腿⇒龍「潭」寺に由来。

伝説の龍潭寺は現存しておらず、石碑のみが残っています。この地で武術が発展したのは、その場所が、宋・遼・金の境界近くにあり戦争が絶えなかった地域。宋は経済や文化は発展していたが、武力に関しては国民を守れるほどの力が無かったので、民は自衛せねばならず、多くの武術組織が生まることになりました。

組織の中堅となったのは昆崙大師に従って民間に下った兵士たち。遊牧民だった金、遼の兵士たちの得意技は、擒拿(掴む)、摔(引き摺り倒す)。これに対抗するには、身体の接触を避けて腕よりも長い脚での攻撃が有効。そして、組み合っている時には下肢での攻撃など~敵が考慮できないという考えもあった。

ある時、少林寺の相済禅師が龍潭寺の≪脚上功夫≫を確かめにやって来た。これを迎えたのは住寺躍空大師。二人は拳と腿を語りあい~三日に亘り試合をしたが、決着はつかなかった。後に、互いに羅漢拳と潭腿を教えあった。これより、潭腿は≪拳打三成、腿打七分≫と言われるようになる。拳と脚が連貫して動き、相手に隙を与えない⇒≪潭腿四只手、人怕見鬼愁≫

明代は武術理論が形成していくうえで重要な時期。各流派が互いに交流、少林羅漢拳と潭腿、峨媚、華拳を始めとして広く融合。元代の運河開発により交通網が拡大。明・清と年代を追うごとに商人たちの行き来が多くなり、それにつれて用心棒や侠客などがやって来るようになり~彼らに伝わった潭腿は、査拳、意拳、精武門等にも受け継がれて、各派の腿法技術の基本となっていきます。

軍隊拳だった臨清潭腿は、長期に亘って厳格な規律を守っていましが、ある拳師の出現によって変化していきます。その人物の名は、伝説の英雄≪馬永貞≫。中国武術名人辞典には中国の歴史に影響を与えた武術家の名が記されていますが、その中に馬永貞も名を連ねています。

民間には、辞典の中に記されている以上の故事が伝わっています。草の根(貧困)階級に生まれた馬永貞は、功夫で名を成し伝奇的人物となりました。上海に出てきて、港で荷役仕事を始めた馬永貞の力を同僚たちは見くびっていましたが、誰が一番麻袋を多くもてるか~という力比べで、上体に二つの袋を乗せて馬歩になり脚を蹴らせても不動だった姿が周囲を怯えさせます⇒≪不戦而屈人之兵≫。地面に釘を打ちこんだような堅固な身法は、どのような訓練によるのでしょうか。

潭腿の先人たちが使っていた地下練習所。何故、昔の人たちは地上ではなく地下で練習していたのか。一つは機密保持⇒誰にも見られない。また、狭いということも~現在では再現できないという練習方法。立つことも出来ないような空間で、二~三人が下肢の練習に励んでいた⇒狭くて障碍が多い環境での練習を経ると、広い場所に出た時に勢いよくノビノビと脚が使えるようになる。

その後、馬永貞は摔跤と通臂拳を潭腿と融合。草の根的な彼の武術には捉われがなく、実用と効果に重きをおいていた。打ちこめると見てとれば攻め、打ちこめそうもないなら逃げる。これは、やみくもに逃げているのではなく、相手の隙を狙って勝つための動き。この技のきっかけは、中国の伝統的遊戯≪コオロギ相撲≫。劣勢となったコオロギが逃げる時、追いかけてきた敵が思いもよらない後蹴りを入れるという技を潭腿に応用⇒后撩腿。


★オマケ~梁小龍、「カンフーハッスル=功夫」では「蛤蟆功」を披露しています。




by takeichi-3 | 2019-02-01 23:56 | 武術各派 | Comments(0)

実戦的太極拳~陳家溝。。。

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遠方より知人が東京に出て来ていたので、はとバスを利用して横浜鎌倉巡りツァーに。昼食は中華街。春節モードの街並みを撮影して中国の友人に送ったら~「中国以上に中国している!」という返事がきました~(#^_^#)


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太極拳は実戦的なのか~を陳家溝の武術学校を例にして伝えています。
套路や推手を二年間学んで基礎を身につけてからは、“散手”で実戦力を養っているようです。



by takeichi-3 | 2019-01-23 23:49 | 武術各派 | Comments(0)

鶴山古労詠春拳。。。

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★昨日の動画「鶴山古労詠春拳」~実戦的な身体の使い方が気になって、調べてみました。
古労詠春拳とその他の詠春拳門派は少林内家功夫に属している。古労詠春拳以外の詠春拳は套路練習があるが、鶴山古労詠春拳には套路はなく、二十余りの散手動作と、それを組み合わせた十余りの攻防法がある。宗師梁賛が六十歳を超えてから仏山より生まれ故郷の鶴山に戻った後に周囲の人々に教えた拳法。各門詠春拳の木人桩と双刀技法を分析、基本的に古労詠春拳の散手動作の大部分は其の他の詠春拳用法と同じだが、対練の中に肘を多く活用している。又、他の武術も研究して吸収。太極拳と同じように「意緊形松」、「先慢后快」。一つ一つの基本を丁寧に誤差がなくなるまで正確に~身体が自然に行えるようになると「生精」となり~それより、色々な手法を訓練。古労詠春拳は実戦的な功夫が基本になっているので、各々が自由に新しい技法を造りだすことが出来る。


★で、表演していた「古兆奴老師」を特集している動画発見。。。



動画の内容とは異なりますが、古兆奴老師の略歴。。。
今年83歳になる鶴山市古労で生まれ育った古兆奴。5歳の時から父より内養功を学び始める(梁賛⇒古文照⇒古恒長⇒古兆奴)

父から学武を~と聞いて喜んだが、二日後には半端なく辛いということが分かった。壁に打ち付けた板を十指でしっかりと掴み身体を浮かせ~指の力を強くする。鳥が鳴くと同時に起きて練功。十指は全部腫れあがってしまうという状態。父親が離れた隙にサボったりすると、何故か発覚。罰として馬歩一時間。7歳から学校に通うようになるが、それ以外の時は練功。夕飯後は二時間。

梁賛の隣人だったということもあり詠春拳を学ぶことになった大叔父古文照。学武に際して、「詠春拳は威力があるから悪人に伝わると大変なことになるので外伝しないよう」と言われ~古兆奴もそれを守っていたが、村長に「梁賛という英雄の生まれ故郷だということを知らせるため、その教えを絶やさないためにも、是非、拳の公開を」と説得されて、76歳より教拳を始めた。

by takeichi-3 | 2019-01-10 23:57 | 武術各派 | Comments(0)

詠春、詠春、詠春。。。

清末の著名な武術家、詠春拳王と呼ばれた「梁賛」が晩年を過ごしたという鶴山市で開催された武術表演。




梁賛の入室弟子で葉問の師匠「陳華順」




梁賛修行中~「梁二娣(短橋詠春)」と「黄華宝(長橋詠春)」、二人の師匠に学んでいます。




梁賛の長男「梁璧」と香港で出会った「葉問」
梁璧を演じているのは、葉問の長男「葉準」



by takeichi-3 | 2019-01-09 23:56 | 武術各派 | Comments(0)

南北獅舞。。。

何時からなのか、一月一日は「世界龍獅日」となっていました。
中国の獅子舞には、「南獅」と「北獅」があるのを知ったのは北京体育大学にいた時。ちなみに、獅舞は武術班。

★黄飛鴻の故郷、仏山の南獅。。。




★北京体育大学の北獅。。。




★北獅~障害物競争的なタイムレース競技もあるようです。。。(((((^^;




★南獅系のショートフィルム。。。



by takeichi-3 | 2019-01-05 23:51 | 武術各派 | Comments(0)

武当剣等。。。陳師行道長

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来年、機会があったら、一週間くらい武当山修行に行きたいと思っています。前回は、観光だけで終わってしまっていますから~三豊派の剣と気功とか。。。

媒体で取り上げられることが多い武当山三豊派「陳師行道長」の「武当剣」紹介動画。七歳の時から外家拳を学び、十一歳の時に内家拳の発源地が武当山だと知り、この地にて学武(鐘雲龍道長より)を始める。「授業初日に、来たことを後悔した~一時間近くも馬歩をやらされて」と語っています。




十年前の表演。軽功に長けているだけあって、敏捷な動き。




武当十三式の運用。。。


by takeichi-3 | 2018-12-19 23:52 | 武術各派 | Comments(0)

少林寺小武僧。。。

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日曜の浅草。人出半端なくて~太極拳講習の昼休みを利用して浅草寺にお参り~は、断念。

今日の練習。老師による「提高」のアドバイスは、規律の遵守。初心者も熟練者も、各々が現状よりも規律の精度を上げる=レベルアップ法。

あ。7月に紹介した少林寺小和尚の最新映像~日々の鍛錬でレベルアップしているようです。




先輩の釈小松。3歳の時に、「亜洲武術小神童賞」「国際武術節童子功賞」を受賞~以来、テレビや舞台で活躍している小武僧です。




この子たちも、将来は。。。



by takeichi-3 | 2018-12-09 23:50 | 武術各派 | Comments(0)

少林寺塔溝武術学校。。。Dragon Girls Martial Arts School Documentary

2016年に掲載していたのですが、最近、異様にアクセスが多くなっているのに動画が削除されていて~ので、再度、動画を探し出しました。。。(--)!

★1987年の設立当時には2~3名しか生徒がいなかった少林寺塔溝武術学校。現在では、生徒と教師合わせて35,000人いるそうです。9歳になる職業隊に選ばれている少女を中心に、ここで暮らす子供たちを追ったドキュメントのフルバージョン。



貧しい農村の子供たち。両親は都会に出稼ぎに~子供は連れていけないからという理由で預けられている子供も多いそうです。


by takeichi-3 | 2018-12-03 23:56 | 武術各派 | Comments(0)

張希貴老師。。。山西形意拳

良い動きの形意拳だなぁ~と思った「張希貴老師」。。。




山西省武術協会副主席、山西省形意拳研究会会長、武術九段、中華武術百傑の一人。
武侠小説を読んで武術に興味を持ち、偶然、名師郝学儒が教拳しているのを目にして~毎日のように見に行っているうちに老師が気付いて、この子は武術を学びたいのだろうか~が学武の始まり。



郝学儒より学んだのは、少林拳械、岳氏連拳八翻手、王新午太极拳等~後に、申子栄より形意拳、岳氏連拳八翻手、渾元一気功等~傅山拳法伝人の李思元より傅山拳法(山西傅拳非物質文化遺産伝承人)~沙国政より八卦掌、通背拳、形意拳、太極拳対練、拳械~~又、異なる門派の形意拳を名師(布学寛、趙永昌、李桂昌、楊吉生、王鴻、李三元、何福生等)たちに学び~妻の父楊隆柱からは綿掌、十手芸等を。。。

諸先輩から受け継いだ文化を失伝させてはならないを旨とし、自費を投じて、28年に亘って山西省伝統武術錦標賽を挙行。

ジェット・リーやドニー・イェン、呉京を育てた北京什刹海武校の呉彬老師も、動画の中で、その武徳を讃えています。


★岳飛八翻手の実践。。。




★鞭杆。。。八十を超えているとは思えない動きです。



by takeichi-3 | 2018-11-10 23:57 | 武術各派 | Comments(0)

太極拳用品販売の傍ら~拳理を解明しています⇒カレンダー下の「三清」をクリック~お立ち寄り下さい。m( _ _ )m


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