北京で太極拳

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筋肉結合⇒「整力」。。。

f0007580_23553319.jpg一昨日紹介した「徐皓峰」の形意拳口述小説「武人琴音」
出版された直後に購入していて~興味深かった部分を訳していました。

数年に亘り、ファンクショナル系を主体とした筋トレを続け、背筋&腹筋(体幹部)により手足が連動するようになってきた今、改めて~書籍の内容に頷いています。

※武術の站桩には体幹を強化する効果があると、北京体育大学が散打の選手で実験した結果を発表しています。


成長した後、骨、一本一本の長さ(構造)を変えることはできないが、結合しあっている骨々の長さなら変えることが出来る⇒筋腱や靭帯を伸ばす⇒沈肩墜肘、塌腰落股による。

骨そのものの構造は変えられないが、筋肉の結合を変えるのは簡単。
スーパーで売っている、養鶏場で育てられた、一度も走ったことがない鶏のローストチキン。その腿を引っ張ると、腿部分がきれいに外れてくるが、農場で放し飼いにされ、毎日駆け回って育った鶏を使ったものは、腿を引っ張ると半身分の肉が一塊りになって付いてくる⇒日ごろの運動によって、身体が「整」という状態になっている⇒歩く~足だけを使って歩いているわけではなく、バランスを保つために身体の各部が効率よく結合して動いている⇒筋肉結合構造が養鶏場育ちの鶏とは異なったものになっている。

発力も、、、筋肉結合⇒「整」力を利用すると威力が増す。
又、相手への攻撃を有利にする為、少しでも腕を長く伸ばす⇒肩甲骨や脊髄の引き伸ばし、腰の捻じりを利用⇒伸筋抜骨。

身体を伸ばす⇒放松(柔)でなければ、筋腱や靭帯を伸ばすことができない⇒勢いのある力(滞りの無い力)が発揮できない⇒剛は柔より生まれる。
by takeichi-3 | 2018-07-31 23:59 | 太極拳理論 | Comments(0)

伊勢志摩に行くなら。。。

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伊勢志摩方面にお出かけの機会があるようでしたら、スペイン村に。。。
夏休み期間、甥がパフォーマンスしています。





★ジャグリング~技の数々。。。




★横浜で指導していいます⇒ まろ/ジャグリング教室 
by takeichi-3 | 2018-07-30 23:52 | いろいろ | Comments(0)

出拳的規律~腰催肩、肩催肘、肘催手 by 尚雲祥

逝去的武林⇒中国サイト~無料で立ち読みできます≫
武術作家「徐皓峰」が、尚雲祥薛顚等の形意拳大師に学んだ母方の祖父「李仲軒」の口述を元にした著作。その中、最近拘っている手腕の使い方に共鳴できる部分が。

「尚雲祥形意拳理論」
拳を打ち出す時には、腰催肩、肩催肘、肘催手の規律による⇒“三催”

★「尚雲祥」の娘「尚芝蓉(82歳)」による五行拳。。。




ある日、李仲軒が尚雲祥の家を訪れ、拳について語り合っていた時、突然、尚雲祥が李仲軒の腕を掴んで揺らすと、その揺れは李の全身に波及するので驚いていると、「こんな風に腕を掴まれた時、その反撃の仕方も知らないのか?」と溜息をついた。

尚雲祥の下で数年学び、他の弟子たちと比武の経験もあるので、咄嗟の攻撃に条件反射的に抗ってはいたのだが、尚雲祥にかかっては、まるで子供が抵抗しているかように効き目が無い。

手を放した尚云祥が言うには「拳部分を力任せに使うと、相手に掴まれた途端に無力になってしまう。根節となる部分(肩)からの力が通じていなければ~」

形意拳歌訣で語られている三節⇒対于上肢、三節是腕、肘、肩~根節是肩。対于下肢、三節是脚脖、膝盖、大腿根~根節是大腿根⇒“三星齐、泰山移”~三星就是三節、比喩三節整合、力可移山。

練三節~根節よりの劲力が末端へと伝わる(走=肩より~肘を経過して相手に)⇒三節整。
※要沈肩墜肘(肩甲骨稼働)~立身中正。



★十年後に出版された≪武人琴音≫。。。尚雲祥老師に学んだ韓伯言の口述。

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中国では、人と人との出会いや別れに際して、良く≪縁分≫という言葉を口にしますが、韓伯言と尚雲祥の出会いにも縁分を感じます。

済南で生まれた韓伯言は子供の頃から虚弱体質。それを改善させようという理由から、紅拳の孫老師より学武。成長後、政府の強国推進勧告により、新たに武術班を設けた北京朝陽大学への入学が決まり~北京に向かう際、孫老師から「尚雲祥を捜すがいい」とアドバイスを受ける。

北京に着いて、尚雲祥老師と面識のある人物を捜すが見つからず~


大学開講時、多くの著名な武術家が教授として名を連ねていて、生徒たちは各自で老師を選ぶことが出来た。その中、思いがけず尚雲祥の名前を見つけ~迷うことなく即決。

初めての授業。尚雲祥の容貌はごく普通なのだが、人を圧倒させる雰囲気を備えていて、初対面の生徒たちを静まらせた。「経験のある者は、経験の無い者の指導をするように」と指示。多分、それぞれの力量を見極める為だったと思うが~生徒たちは、何故自分たちで教え合わなければならないのか訝った。

一回目、二回目と、そんな授業が続き~形意拳の桩法、馬歩法などの基礎を教え始めた。言葉数が少ない教え方。生徒の腕に腕を重ね力を加え~反応を確かめながら「よし、よし」という感じ。

他のクラスは、楽しそうに打ったり蹴ったりの練習をしているのに、形意拳班は、ひたすら立たされているばかり。これは非常に辛くて~一か月が過ぎた頃には、多くの学生たちは別のクラスへと移ってしまい、残ったのは二、三人。この事態に、大学は、二度と形意拳班は作らないと宣告。尚雲祥を教授職から外した。

残った生徒たちに、、、
「今日が最後。明日から来ない。私と練習をしたい者がいるなら、一緒に家まで来るがいい」

韓伯言が語った、尚雲祥についていった理由。。。
「尚雲祥は、人に貴重な財宝を授けてくれる。価値の無いガラクタを与えたりはしない」
by takeichi-3 | 2018-07-29 23:49 | 太極拳理論 | Comments(0)

ゴジラ演化。。。

ハリウッド版「ゴジラ」第二弾制作に際して作られた、ゴジラのEVOLUTION。。。
最新版、超巨大化しています。



※歴代ゴジラ映画の予告編が楽しめる≪東宝特撮チャンネル


★日本版、ゴジラに登場する怪獣名鑑。。。




★シリーズ第四作~「ゴジラ&モスラ」




★来年公開になるハリウッド版に~うっすらと、モスラの影が。。。


by takeichi-3 | 2018-07-28 23:53 | 中国映画音楽 | Comments(0)

内家拳的本質是筋骨的改変。。。

f0007580_23462319.gif今日は気功講習~昨日の太極拳と同じく内劲の運用。
開肩(鎖骨=含胸)により生じた内劲を指先まで通す(流動させる)がメイン⇒意により運用するモノの実態を体感&何故健康効果が得られるかも実感してもらえたようです。


★準備運動は、「引身令柔十三式」の動きをアレンジしたものに。。。




午後から、パソコンの具合が悪くて右往左往~訳す時間が無くなってしまいましたが。。。
“内家拳的本質是筋骨的改変。核心是骨架結構的変化、骨骼質量的提高”の“肩部”解説。

房子的好壊不在窗戸門而在房子的結構、在構造建房子結構的四梁八柱。能够理解了这个道理練拳的路径就不会有大的偏離了。

立身中正的状態下抻筋抜骨、丢掉筋肌的主導訓練、修煉骨骼打開身体的所有関節、利用身体的重量流動帯動骨架訓練是核心的核心。開始練拳是不会体会出骨架運作拳架的感覚。多是以筋肌帯動拳架。能够進入到骨架訓練的階段需要漫長的調整。不同的人調整期有所不同。当能够重写身体運動的底層記憶習慣的之后就是身心結合到一起的開始。改変大脳対身体控制習慣的cpu(データ処理)建立起新的体系尤為関鍵。

開肩的関鍵在于肩甲骨、頸肩結合部位的打開、重要的是松開整个肩、肘、腕指的体系連接。逐歩体会到他们連接在一起的流動性訓練。这種流動性的関鍵在于肋骨帯動肩甲骨~帯動肩肘腕指的整体骨架系統流動。随着流動性的増強慢慢的就能体会到肩胛骨貼順在肋骨上、肩甲骨就不会后翹在脊背之上;貼背完成含胸自然而然的也就做到了。随着開肩,人体的整个肋骨会被打開、胸廓更加膨満、横向纵向都会加寛、気沈丹田更加充実、人体呼吸更加通順。整个上肢的骨骼運転霊活気血膨満。
by takeichi-3 | 2018-07-27 23:57 | 太極拳理論 | Comments(0)

新編套路/太極八法五歩by中国国家体育総局

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ほぼ一週間ぶりになる、太極拳練習。
太極八法を基礎に、用法の運用劲とは異なる方向への内劲(身法による)を同時に発生させて相手を崩す~を42式太極拳の型で試行錯誤。かなり楽しめました。。。(^^)v


中国国家体育総局が競技太極拳普及の為に編纂した「新編太極八法五歩」
知人によると、全日本武術太極拳大会の中国選手表演の時に披露されていたそうです。
体育総局が制作したビデオで示演しているのは、趙文卓と福建隊(陳洲理、黄志坤、童心等)
中国国内では、既にエントリー種目として採用している大会もあるようです。




「新編太極(八法五步)」是国家体育総局和国家武術管理中心最新重点宣伝推広的太極拳競赛套路、其融合了陳式和楊式太極拳的特点、立足簡潔、易学、内外兼修的原則、适合普通人群了解、掌握太極拳要点、達内修心性外強体質的健康需求。

太極拳八法五步是由北師大体育与運動学院呂韶鈞教授、于2017年受国家体育総局委托主持創編、是継24式簡化太極拳之后、国家推出的又一个面向国内外推広的太極拳入門套路。取各式太極拳之長、包括:“掤、捋、挤、按、採、挒、肘、靠”八種劲法、以及“進、退、顧、盼、定”五種歩法。
by takeichi-3 | 2018-07-26 23:55 | 太極拳理論 | Comments(0)

超萌少林寺小和尚。。。

≪発光的孩子:超萌少林寺小和尚≫



恒恩(趙継恩)、今年5歳、河南南陽人。3歳時被父母送到少林寺習、拜在延庸師父門。来少林寺之前、恒恩还不会自己吃飯穿衣服、来了少林寺之后、学会了自己的事情自己做。每天早上五点起床練一些身法、七点吃飯、八点半左右上文化課。背《三字経》《弟子規》、練書法、学絵画等。恒恩学的時候都很認真。中午有两个小時午休時間、下午全部是練功的時間。在少林寺習武、経常会爬達磨洞、山路崎岖陡峭、成年人都需要走两个小時左右。但是第一次爬山、小小年紀的恒恩就会自己从山脚爬到山頂、再自己走下来,从来不会掉隊、恒恩性格很倔強、剛被父親送到少林寺的時候、不哭不鬧、从楼梯上辺滾下来、把身辺人都吓壊了、他起来拍拍土説:“哎呀没事没事、不疼不疼”


★このドキュメンタリーを製作している≪二更≫。。。他にも佳作があります。
「天梯上的孩子」⇒800mの崖上にある村の子供たちが学校に通う様子を記録。


by takeichi-3 | 2018-07-25 23:59 | 太極拳・武術動画いろいろ | Comments(0)

絶技。。。天霜拳、風神腿、排雲掌

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2002年に放映されたテレビドラマ「風雲雄覇天下」
香港のコミック「風雲」を原作としているようですが、その小説の中に登場する武林秘籍~三絶を創始人「李大将軍」より伝承した「雄霸」が演化した三分帰元気⇒「天霜拳、風神腿、排雲掌」の各々を、弟子に授ける場面。
こんな技、身につけたい~\(^0^)/





師匠の雄覇を演じているのは千葉真一~絶技、こんな風に使います。。。




by takeichi-3 | 2018-07-24 23:55 | いろいろ | Comments(0)

陳照奎。。。青龍出水

馬虹老師(陳式)のインタビュー記事の中で使われていた師匠「陳照奎」の写真が凄くて。
★青龍出水。。。

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「四平八穏、陳氏太極拳有道:”形同座在凳子(ベンチ)上打拳“」
一代宗師陳照奎演練的陳氏太極拳一路83式中的青龍出水招式、架式低穏舒展標準、運用両手、両腿的纏丝劲、将各个関節貫串得如一条線、此式的発劲属于四隅手中的挒劲、拳照显示出深厚的纏丝劲、寸劲及周身一家的太極功夫、与陳式太極拳75式老架中的青龍出水有点不一様、是青龍出水的標準照、这才是正宗的陳家家傳拳架。


★伏虎。。。

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这是由陳照奎宗師演練的陳氏太極拳二路71式炮捶中的伏虎招式、拳架練得很低、表現出左右前后及上下的大蓄身法、在開的姿勢下形成蓄劲、蓄含強大的弾抖力与纏丝劲、功夫深厚純正、是正宗的陳家家傳功夫。


★現在では太極拳名家となっている弟子たち(陳小旺、王西安、朱天才、陳正雷等)の青龍出水。





★以前に紹介していますが、改めて。。。

「陳照奎(1893~1971)」⇒陳氏太極拳第十代伝人。叔父陳発科より学ぶ
1941年、イナゴが大量発生して穀物に多大な被害を与え、その翌年には河南省一帯の大旱魃~等で村民たちの暮らしは逼迫。飢えを凌ぐために草の根や木の皮を食べたり~青壮年たちは村を離れて出稼ぎに行ってしまい、練武者が激減していった。その現状を目の当たりにして、陳家拳の失伝を恐れて帰郷。

当時の弟子~王西安、朱天才、陳小旺、陳正雷、陳德旺、王天宝など三十人余りが集まった。

1966年。文化大革命時~太極拳は大毒草と称され、陳家の先祖を祀る堂や位牌は破壊された。
74歳になっていた陳照奎は迫害され、共に練拳した者たちは「搞小集団」と批判されて、自由に練習が出来なくなっていた⇒「夜聚明散=夜になると集まって練習、朝には解散」

1967年。陳照奎には四つの罪が問われていた。
第一は地主。第二は国術教官。第三は国民政府で教拳していた時に国民党に加入。第四は旧資産階級による反動組織に加入。

幾度かの批判に晒され、耐えきれなくなり~1967年初春に井戸に飛び込んで自殺を図る。
水が浅かったために命を落とすことはなく救出されたが、井戸の底に設置されていた竹筒が足に刺さり怪我を負った。

批判対象者の陳照奎を敢えて治療しようとする医者はおらず、陳正雷と陳春雷は家に連れ帰って塩水で傷口を洗ったり、酒で消毒したりしたが~結果は芳しくなく、片足は使えなくなってしまった。

1969年。人民日報に、「体操、球技、ランニング、登山、水泳、太極拳等の運動を行おう」という毛沢東のスローガンが掲載された。

この記事を読むや否や、新聞を握りしめて陳正雷を探し出し~
「小雷、毛主席が太極拳をやってもいいと~練拳は法を犯すことにはならない」
と、村の青少年たちに練拳を禁じる必要がなくなったことを喜び、資料を整理~「理論十三篇」をまとめた。

1972年。12月30日、80歳で逝去。
by takeichi-3 | 2018-07-23 23:59 | 偉人たち | Comments(1)

命中注定。。。

≪一禅小和尚:第281話≫
師匠が言うには、全ての出会いは運命によって定められている。相手が、どんな人であっても、その人は生涯の中で出会うべき人。偶然は無い。その出現は、あなたに何かを教える為。だから、どんな状況に出くわしたとしても信じていていいのだ。行くべだと定められた場所。行うべきだと定められた事。全ては、出会うべくして出会っている。




6歳の小和尚を見た後~偶然、85歳になるフジコ・ヘミングが、自身の不遇時代を振り返って「神様が何かお考えがあって、そうしてくださったんだと思っています」と語る言葉に出会いました。フジコ・ヘミングのドキュメンタリー映画「フジコ・ヘミングの時間」が全国公開中~それに合わせたのか、インタビューがネットに掲載されていました。

★映画の予告編。。。



もし、あのとき、別の選択をしていたなら──。ひょんなことから運命は回り出します。人生に「if」はありませんが、誰しも実はやりたかったこと、やり残したこと、できたはずのことがあるのではないでしょうか。昭和から平成と激動の時代を切り開いてきた著名人に、人生の岐路に立ち返ってもらい、「もう一つの自分史」を語ってもらいます。今回はピアニストのフジコ・ヘミングさんです。

母が亡くなって、残してくれた家を守るために、飼っていた8匹の猫を連れて1995年にヨーロッパから日本に帰ってきました。でも、本当は帰りたくなかった。ヨーロッパで成功して「錦を飾る」予定だったんだもの。

母は、大嫌いだけど大好きな人。母のおかげでピアノに出会えたし、ドイツに留学中も、苦しい生活の中から仕送りを続けてくれました。母から届いた手紙に「私は塩を舐めてでもあなたに勉強を続けさせる」と書いてあって、眠れなくなるほど申し訳なかった。母のためにも成功したいと思ってがんばっていたけど、生きているうちにそれが果たせなかったのは、とても心残りね。申し訳なくて、死に顔を見られなかったわ。

フジコは母親から手ほどきをうけて、幼少期からピアノを始めた。母親の大月投網子は東京音楽学校(現・東京藝術大学)でピアノを学び、戦前のベルリンに留学。そこでスウェーデン人の夫と出会い、フジコと弟のウルフをもうけた。

私が5歳のころ、家族で日本に来て、母は私にピアノを始めさせました。気性が激しい人で、ピアノの教え方も他の部分でも、とにかく厳しかった。ほめられたことはなく、それどころか一日中、私のことを「このアホ」「なんでこんなこともできないんだ」って言い続けている。今思えば、子どもの教育という点では、母は正しくはなかった。毎日責められて何をやっても否定され続けるのはつらかったわね。父がいてくれたら「そんなこと言うもんじゃないよ」と止めてくれたかもしれない。父は穏やかな人だったから。でも、いろいろあって母と幼い私たちを残して、スウェーデンに帰ってしまったんです。母は、そんな父を決して許そうとはしなかった。たまに電話がかかってきても、激しい口調で怒鳴りつけてました。

戦前の日本で外国人の血が入った子どもを育てるのは、たいへんだったと思う。私も弟も、クラスメートから「おまえんち、スパイだろ」ってさんざんいじめられました。配給の知らせがウチにだけ回ってこないなんてことも、よくあった。

母はピアノをお金持ちの家の子弟に教えて、私たちを養ってくれました。私にピアノをやらせたのも、ピアノを身につけたら何があっても食べていけると思ったからでしょうね。

東京藝術大学を卒業後、ドイツに留学。ベルリン音楽学校を経て、ヨーロッパで演奏家としてのキャリアをスタートさせた。向こうで成功をつかむチャンスもあったという。

30代半ばのころでした。ウィーンに、世界的な指揮者であるレナード・バーンスタインが来ると聞いて、私は勇気を出して手紙を渡したんです。私の演奏を聴いてくださいって。その願いは運よく聞き入れてもらえて、私は彼が作曲した「ウエスト・サイド・ストーリー」など何曲かを演奏しました。演奏が終わると彼は私を抱きしめ「君は素晴らしい。私が力を貸そう」と言って、ウィーンでリサイタルを開いてくれることになったんです。街中のいちばん大きな柱に、私のリサイタルのポスターが貼られて、夢のようでした。やっとチャンスをつかんだんだって。ところが、リサイタルの直前、暖房もない古いアパートに住んでいた私は、ひどい風邪をひいてしまったのです。さらに、飲んだ薬が合わなくて左耳が聞こえなくなってしまった。右耳は16歳のときに中耳炎をこじらせて、すでに聞こえなくなっていましたから、両耳が聞こえなくなったのです。

そんな状態でしたから、結果は納得のいくものではありませんでした。ピアニストとしての未来は、完全に失われてしまったと思いました。ウィーンを去り、スウェーデンのストックホルムで、耳の治療をしながら音楽学校の教師の資格を得るために、学校に入りました。それから何十年も、ピアノを教えて、猫といっしょにヨーロッパのあちこちを移り住みました。

ウィーンのリサイタルの直前に風邪をひかなかったらどうなっていたか。それはぜんぜんわからない。(もう一つの人生があったとして)よかったのか悪かったのかも、今と比べようもない。でも、神様が何かお考えがあって、そうしてくださったんだと思っています。

どん底の生活は、何年も続いた。転機は、ヨーロッパから日本に帰国してから4年後の99年2月。NHKの「フジコ~あるピアニストの軌跡~」という45分の番組だった。

日本に帰ってきてからは、毎日、近所を散歩していたわ。向こうではピアノを教えていたけど、こっちでは教える相手がいない。ギリギリの生活でした。生きる気力をなくしていたかもしれない。地獄を歩いているような気持ちでした。でもね、お友達や母の教え子のみなさんが、聖路加国際病院で週に1回ぐらい演奏をさせてくれたり、母校の東京藝大のホールでコンサートを開いてくれたりして、だんだんたくさんの人が聴いてくれるようになっていたの。

98年の暮れ、近所の教会に置いてあったパンフレットに「待っていなさい。必ずそれは来ます」って教えが書いてあったのを見たの。やがてあなたの時代が来ますからって。そのときは、神様、その話は知っていますが、私のことはお忘れになっちゃったんですね、と思った。

それから1週間ぐらいたって、NHKの人から連絡があって~番組が放送されたのは、とても寒い夜だったわ。放送が終わった直後から局にはすごい反響があったらしく、ウチにも翌日からどんどん電話がかかってきました。

その後の活躍は、誰もが知るところ。6月から、初のドキュメンタリー映画「フジコ・へミングの時間」(監督 小松莊一良/配給 日活)が公開中。パリや京都の自宅での普段の暮らしから、世界を旅する演奏活動まで今の“素顔のフジコ”が収められている。

自分のドキュメンタリーを見るのって恥ずかしいわね。もちろん、演奏には、自信を持ってきたわ。でもね、こんなふうに注目されて、認められて当然とは思っていません。先日もある演奏会で、弾き終わったときに「ミスだらけでごめんなさい。拍手をもらう資格はないです」って謝ったら、その途端に会場じゅうの人が立ちあがって、「ブラボー!」って拍手されちゃって。その場から逃げ出したくなったわ。

ピアニストの中には、何分でこれだけ弾けるとか、どれだけ正確に弾けるとか、そんなことを自慢する人がいるけど、スポーツじゃあるまいし。正確なのがいいのなら、機械に弾かせればいいのよ。私は、あたたかい演奏をしたい。レパートリーが少ないと、よく言われるから、もっといろんな曲をやればよかったなと、ちょっと後悔することもある。でも、欲張らなくても、世の中には山ほど曲があって、ピアニストも山ほどいる。それぞれが得意な曲をやればいいじゃない。

ピアノも人生も、少しぐらい間違えてもいい、完璧じゃなくてもいいっていうのが私のポリシー。楽しいことばっかりじゃなくて、悲しいこともあったほうが、天国に行ったときに少しおセンチな気持ちにもなれていいじゃない。笑ってばっかりだったら、きっと退屈よ。
by takeichi-3 | 2018-07-22 23:55 | いろいろ | Comments(0)