<   2019年 04月 ( 43 )   > この月の画像一覧

平成最後の日~伝統拳映像でも。。。

f0007580_23085263.jpg

今日で平成最後~を実感させられたのはスーパーで。令和まで、あと少し。平成最後の晩餐をテーマにしたテレビ番組が放映されています、ちなみに、私はカツカレーでした~(o^0^o)Ψ

※懐古的な雰囲気の今日、伝統武術表演の色々を楽しんで下さいませ。m( _ _ )m

★字門拳⇒江西省に伝わる伝統拳。出自不詳。伝説によると鷹と蛇の格闘より創成された。




★武松脱銬拳⇒手錠をかけられた高手武松(三国志)が戦い手錠を外す~な様子。




★武松脱銬拳~教則的な動き。




★太祖門/羅漢拳⇒滄州の八大武術流派の一つ。清康熙年、少林僧「順元和尚」が旅先で病に倒れた時、助けてくれた滄州宋公の次男「子宋平」に、六年に亘り伝えた拳~その後、河北、河南へと広まり多くの門派が生まれた。




★梅山拳⇒北宋期間、梅山洞主趙天祥により創られたという湖南の伝統拳。千年を経た現在、仏山地区に広まっている。




★金鶏闘⇒武術名家盧振鉾&章海深による燕青拳の対練~燕青拳(迷踪拳)の出自は少林寺。




★4月に北京で会った、今は煙台で小学校の教師となっている体育大学武術班卒業生、余暇にはテコンドーを教えているとか…中国の子供たちには、武術よりもテコンドーの方が人気があるそうです⇒テコンドーパフォーマンスで有名な「龍拳小子」、大人気です。




by takeichi-3 | 2019-04-30 23:58 | 武術各派 | Comments(0)

気功で横隔膜調整。。。

f0007580_82468.gif

かなり以前から、太極拳運動には「横隔膜呼吸」が大切~的な中国サイトの太極拳文章を載せていましたが、それほど重要視していなくて。。。去年の中頃から、それが自然に行えるようになるにつれ、身体内側の変化&気づきの色々を楽しめるようになってきています。太極拳規律を遵守~意識による横隔膜下降(逆腹式)を誘導して気沈丹田に至る~2012年に紹介した陳式太極拳系の気功ですが、呼吸を意識しながら行うと拳勢呼吸に役立ちそうです。

★効果。
1)自律神経のバランス(交感・副交感神経の歪み)改善。
2) 肺での酸素と二酸化炭素のガス交換効率の向上。
3)横隔膜の上下運動による内臓マッサージ⇒血液循環が盛んになる。
4)内気が充実し気力が増し心が安らぐ。
などの効果が得られます。



掌を翻しながら、ゆっくり上に(吸気)⇒頭上で手を合わせ~放松して下に沈む(吐気に変化)~丹田に至ったら、少し止まり~両足の放松下沈みに随って、手は変化。

再び~腕を翻しながら、息を吸いながら、足を延ばしながら~上に。
呼吸に動作を合わせて(上に向かう=吸う、下に下がる=吐く)⇒呼吸の速度と動作の速度は同じ⇒深、長、細~という呼吸が出来ない人は、呼吸の速度に合わせて動作を早く⇒一分間に12呼吸とか~熟練するに従って、最終的には2~3回に。

≪掴気法≫
重心の変化が伴います。脚は、左右のどちらが前でも構いません。掴みにいく時には目標を持って=意念を用いて~気を掴んで丹田に~下肢は虚実の変化があります=呼吸、上半身、下半身の結合した動作。

前に腕を出しながら重心移動、両手を引き戻ししてくる時に拳に変わる⇒吸気~守意丹田⇒重心は後ろ脚に~重心が前に~両手は掌に~吐気~動きは、練習者の体力に応じて姿勢を高くしたり、動きを小さくしたり~体力があるなら、低く~大きく~運動量は各自で調整してください。

≪丹田内転運気功≫
両足を開いて~左手は臍の上に、右手で左手を覆います~女性の場合は反対、右手が下で、左手が上になります。

全身放松、吸気~松股~体を右側に回します~手は体の回転につれて下から上に~体が左に回ったら、手は下がります⇒身体を回す時は意念で~手は、体の回転に促されて動きます~呼吸と合わせて、36回まわします。

女性は反対方向から回し(右回り)始めます。途中から円を大きく~下腹から胸までに。。。36回終えたら、両手の上下を入れ替えて、回転の方向を変え~24回、回したら~そのまま臍上に手を当てて停止⇒円周は、腹下~胸まで~と大きくすることも可。吐く時、手は前に~吸う時後ろに~丹田と命門が前後で呼応(通気)している~運気法を終えたら、両手を摺合せ(温める)~顔をマッサージ~耳~頭。



by takeichi-3 | 2019-04-29 23:59 | 気功:五禽戯・八段錦他 | Comments(0)

休日には映画でも。。。

f0007580_23163986.jpg

中学校同期会の開催場所は横浜中華街。参加者の中で一番喜んでいたのは先生でした。(#^^#)


張芸謀監督&日本人俳優の中、中国で一番人気のある高倉健主演の「千里走単騎=単騎千里を走る」



★千里走単騎⇒三国志に由来する中国の仮面劇の演目。後の蜀帝・劉備の義弟・関羽が、劉備の妻子と共に宿敵・曹操の手に落ちるが、劉備への仁義と誠を貫き通し、最後はただ独りで劉備の妻子を伴い曹操の下を脱出し、劉備のもとへ帰還するという三国志の中のエピソード由来。


1936年製作の「Mr. Thank-You / 有りがたうさん」




by takeichi-3 | 2019-04-28 23:58 | 中国映画音楽 | Comments(0)

映画少林寺&少林寺~by釈永信自伝より。。。

ジャッキー・チェンが厨房僧として出演している新少林寺、まだ見ていませんが、その戦いぶり~見事です。




1分45秒辺りから、この厨房僧の普段のお仕事の様子が窺えます~功夫に納得。(#^^#)




★ジェットー・リーが出演した少林寺が公開され、爆発的にヒットするまでは訪れる人も少なく、荒れていたという少林寺。現少林寺最高指導者「釈永信」は自伝の中で、「映画が少林寺を復興させたのか?少林寺が映画を成功させたのか?」を語っています。

私が出家した二年後に、映画≪少林寺=≫が上映されました。チケット代が一毛(一元の十分の一)の時代に、億を超える入場券が売れたのです。これは奇跡でした。多くの人が私に尋ねました。「この映画があったからこそ、少林寺の今の発展があったのですか?」

統計によると、1974年~1978年に少林寺を訪れた観光客は20万人前後。映画が公開された1982年(10月)に少林寺を訪れた観光客は70万人強。最高期は1984年の260万人。90年以降は落ち着きを取り戻して150万人前後となりました。

「映画が少林寺を復興させたのか?少林寺が映画を成功させたのか?」
映画≪少林寺≫を語る時、私には必ず思い浮かぶ人がいます。その人の名は、廖承志。张鑫炎監督から、「映画の制作を提案したのは、廖承志だった。」と聞きました。廖承志は、当時、中国人民大常委会副委員長、国務院華僑主任、中日友好協会会長など中国共産党の対外活動の責任者を務めていました。(日本生まれの日本育ち、その日本語は「江戸っ子」なみのベランメエ調も話すことができるほどであり、日中国交正常化交渉では首脳の通訳として活躍した)

鄧小平が、「対外活動の回復を図るには人が重要だ⇒“要有廟,还要有菩薩=適材適所”。廖公が適任だろう。」と、自ら選んだ人物です。廖承志は文芸(芸=武術、雑技、京劇)への造詣が深い人でした。姉が武術を習っていたこともあって、ことのほか武術には詳しかったようです。ある時、ブルース・リー主演の香港映画≪精武門≫を見て、「これが愛国映画なのか?真の愛国映画を作ろう。」と香港に、少林寺を舞台にした映画の製作を呼び掛けたのです。香港の映画会社が提出した台本に目を通しながら、具体的に修正を加えていきました。出演者を選ぶに際しては、「必ず武術を取得している人でなければなりません。日本の少林寺拳法からの人選でも構いません。撮影場所は中国大陸内で行ってください。」という条件を提示。中原映画は、出演者には李連傑など武術に熟練した者を選び、河南省嵩山での撮影を決めました。

映画製作に取り掛かかった頃、香港の関係者たちは少林寺が何処にあるのかさえ知りませんでした。ある人は山東省にあると言い、ある人は福建省だと。当初に決められていた≪十三棍僧救秦王≫というタイトルは、上映直前に≪少林寺≫に変更。撮影完了後、廖承志は上映時期を観客が一番多い春節に決めて大々的に宣伝活動を行いました。その効あって、公開されるや否や爆発的にヒット。その人気は瞬く間に海外へ広まったのです。

映画少林寺のストーリーは、白衣殿内の壁に描かれている史実「十三棍僧救唐王的故事(隋朝末期~唐朝初期、皇帝の座を狙う大臣“王世充”と“李世民=唐の第二代皇帝”を助ける少林僧たちとの戦い)」が基になっています。映画の中で印象的な、五百羅漢の壁画や少林武僧たちの苦練を象徴するかのように映し出された48の窪みは千仏殿にあります。

映画少林寺が成功を収めた後、中国大陸や香港で作られた少林寺関係の映画やテレビドラマの数は数百にも及びます。廖承志の提案により撮影され全世界に公開された映画少林寺は、中国の開放と相まって中国の伝統文化を地球規模に知らしめました。それは、少林寺自体をも有名にしたのです。今後、これ以上に大きな宣伝効果が得られることは無いでしょう。

廖承志の活躍があったからこそ、この映画は成功を収めることが出来たのです。1500年の歴史がある少林寺ですが、深淵な存在。文革後期には、僧侶の数も少なく崩れ落ちそうになっていました。時代に翻弄された少林寺ではありますが、今では、以前と同じように燦然と光を放っています。今後、その輝きが失われることは無いでしょう。「映画が少林寺を復興させた」ことは確かです。

f0007580_0284739.jpg

★釈永信自伝~その他の部分。。。
「出家の経緯」
出家への至りは、とても自然でした。幼い頃から、仏像や仏教関係の書籍が身近にある家庭に育ち、仏教を敬う父母、祖父母たちが折にふれて線香をあげるのを目にしていたので、違和感はありませんでした。当時暮らしていた村には、本の読み語りをする人が数多くいました。農村での暮らし。雨降りが続く季節や冬など、時間が出来さえすれば話を聞きに出かけていました。読み聞かせてくれる人の殆どは出家。そんな環境もあって、「大きくなったら、出家して和尚になれるだろうか?本に書かれているような“雲来霧去(来るに任せ、去るに任せ)”といった、心が満ち足りた神仙のような生活ができるだろうか?」と、理解できないながらも憧れを感じていた幼少期が現在の種になったのでしょう。

父親は水電部第四工程局で働き、母親は五人の子供の面倒を見ながら農作業をしていました。私は老三(三男)。下には弟と妹が一人ずつ。我家は商品粮戸籍(食料供給制度時代、農業戸籍だと自分が所属する農業集団で労働した対価として支給されるので移動が難しかった)を持っていたので、進学するにも仕事を探すにも支障が無い状況でしたが、出家への道を選びました。

1981年。16歳の時に、少しばかりのお金と衣服を持って少林寺に向かいました。五台山にしようか、少林寺にしようか~と悩みましたが、「少林寺には、こんな和尚がいて~彼の功夫は~」という物語を聞かされていたので、「先ずは少林寺に行こう。少林寺が受け入れてくれなかったら五台山に~」と考えました。少林寺のほうが近かったということもあります。九華山や普陀山のことは、読み語りには出てこなかったので存在を知りませんでした。

住持≪行正長老≫を訪ねた時、「何をしに来たのかね?」と問われ、「出家して、武術を学びたいのです。」と答えました。それ以外の言葉は思いつきませんでした。老方丈が家庭情況について尋ねたので、「家人は、皆、仏を拝んでいます。菜食者でもあります。」と答ると、「お前には何が出来るんだ?」という質問が~「農村出身ですから、どんなことでもやります。苦労も厭いません。」と答えると、老方丈は頷きながら、「縁があるのだろう。」と出家に同意してくれたものの、「一度家に帰って、家族の同意書を貰ってきなさい。」と言いました。当然のことながら、家人は反対していました。父母は、村中の知識者を次から次へと家に呼び私の説得に務めましたが、出家するという私の意思の強さに已むなく折れて、出家を許してくれました。

出家儀式は、方丈室の後ろにある立雪亭で行われました。「縁」は確かにあったのでしょう。白馬寺(文献で確認できる中国最古の仏教寺院)の海法大和尚が偶然に居合わせていて、引礼師を勤めてくれました。行正法師は私の髪を剃ってくれました。中国名寺の住持が二人。ただの農民の子に出家儀式を行ってくれたというのは稀な事です。そのことが、より強い使命感と責任感を抱かせることになりました。

行正和尚が私に与えてくれた法名は「永信」。厳粛な儀式の最中、祖先への崇拝・畏敬の念が湧きあがってきたのを鮮烈に覚えています。私を出家させて弟子とすることに同意してくれた師父ですが、文化大革命の嵐が吹き去ったばかりで、宗教弾圧を受けていた僧侶たちは僧衣を身につけることも出来ないという厳しい時代。そんな状況下で弟子を受け入れるという行為は、相当のリスクを覚悟しなければならなかったはず。後に、それを知った私は、より精進に励み仏に奉仕することを自らに誓いました。

寺に入ってからは、炊事、放牛、農作業などありとあらゆる雑用を真面目にこなし学んだので、老和尚たちから、早くに認めてもらうことができました。出家の道は、世の中の人が想像してるものとは異なります。言葉で表現されていることは数多くありますが、信仰を支えに修業して体得出来たものを的確に表しているものはありません。言葉では伝えきれないものの存在があることを実感するのです。

修行生活を通して、少しずつ、自分が出家した目的がハッキリしてきました。生死の意味を知る為。人はどこから来てどこに行くのか?出家することによって人生を客観的に検証することが出来るようになります。僧侶たちは、生死を超越して成せる事や、人が生きることの本質を識ることとなります。

少林寺の住持になってからは、悟りを求める以外に、少林寺そのものの存続を考ねばならなくなりました。当時の少林寺の生存環境はとても厳しいものでした。所有する山林や土地は少なく、寺院周辺に巡らされている壁と壁周辺の28畝の山地があるだけ。その小さな土地だけでは僧侶の全てを養い切れません。

あの頃は、どのように教えを残していけばよいのか?少林寺を維持発展させるにはどうしたらよいか?をひたすら模索していました。宗教に対する政府の対応が良くなるまで持ちこたえられるのだろうか?援助を得られなければ、1500年の歴史を持つ少林寺は自分の代で滅んでしまうのではないか?そんなことはあってはならない。少林寺は、全人類の財産なのだから。。。

f0007580_0164796.jpg

「我が師父“行正方丈”」
師父である行正方丈は、本当に素晴らしい人でした。6歳で出家。9歳の頃には両眼の視力は殆んど失われてしまい、向かい合った人の輪郭を感じることが出来る程度。顔立ちを識別することが出来なかったので、来訪者が誰なのかも定かではありませんでした。こんな状態で少林寺の仕事をこなすのは、さぞかし大変だったことでしょう。

ある時、老方丈と私とで登封の街に赴いたことがありました。三角五分の乗車券代を節約するために、夜が明けるか明けないかという頃に出発して、少林寺近くを通過する、セメントや煉瓦、木材を積んだ貨物列車によじ登るように乗り込んで、ガタゴト揺られながら目的地を目指しました。遠くに出かける時の食糧は、事前に購入した20個余りの焼餅。お腹が空けばそれを食べ、折よく茶館があればお茶を一杯ずつ注文するという慎ましいものでした。

目的地での滞在には、いつも睡澡堂(銭湯内に簡易な宿泊設備が設けられていた)を利用していましたが、到着が遅れたりすると泊まれないこともありました。そんな時には、お金がかかる旅館には泊まらずに、駅に戻って椅子の上で一夜を過ごしました。年若く修業が足りなかった私は、人の行き来が多くて、煩くて、寒くて、座ることも立つことも眠ることも適わないという有様でした。ほんの少しのお金を出せば旅館に泊まれるのに、師父はそれをよしとはしませんでした。やりきれない気持が湧き上がる一方で、師父への尊敬の念は深くなっていきました。

当時、北京にある中国仏協会の向かいには、一軒の睡澡堂がありました。宿泊代込みで一元。北京に行く時にはよく利用していたので、従業員たちと師父は顔見知りになっていました。1985年以降、拝観料が入ってくるようになりました。遠出に際し、以前より多くのお金を持ち出している師父の姿を見て、きっと旅館に泊まるのだろうと思っていましたが、北京に到着すると、やはり睡澡堂に行くと言い出しました。

目が不自由だとはいえ、師父の記憶はしっかりしてました。「今日は、△△睡澡堂に泊まろう。駅から○○番のバスに乗って××で降りたところにある。ちょっと様子を見てきてくれないか。」と私に告げました。師父からの言葉に逆らいたくはなかったのですが、その身を案じた私は、「師父、あの睡操堂は既に取り壊されて無くなっていました。」と告げました。それ以降、師匠が睡澡堂に泊まることは減っていきました。当時の年収は数十万元になっていました。

1983年。国家が定めた第一回風景名勝区36の一つに嵩山も選ばれました。とはいえ、少林寺の管理を宗教界に委ねてくれたわけではありません。風景名勝区となったと同時に政府による少林寺管理処が設置されました。それを知った老方丈は、私を連れて開封地区の統戦部、省委統戦部、中央統戦部、国家宗教局、中国仏協会などを訪れては、寺の建物、文物等と入場料の管理を僧侶たちが行えるように訴えました。

まだ“左”思想の色が濃かった当時。宗教政策は改善されていませんでした。何度も繰り返し、話し合いに出かけました。時には、地元の権利者の訴えによって処罰を受け拘留されたこともあります。目が不自由な老和尚と十八歳になるかならないかの小和尚は、何度も何度も北京に赴きました。方丈は、国家の政策は必ず良くなると信じていました。少しずつ、少しずつ、幹部たちの支持が得られるようになるにつれて、政府中央が掲げる政策を支持し法律を守るという条件の下に少林寺の自主管理が許可されました。

方丈と共に過ごすうちに、私には、彼が思い描いている青写真が見えるようになっていました。十年に及ぶ年月の中で失われてしまった、少林寺の伝統と宗教活動を回復させたかったのです。方丈は、少林寺の回復と発展の為には何をも恐れませんでした。ある人は、方丈を指して“菩薩の心、韋駄の胆”と褒め称えました。(韋駄天は南方を守る増長天に従う八将軍の一人。四天王にはそれぞれ八人の将軍がおり、韋駄天は三十二将軍のリーダー。僧や仏法の守護者)

寺にいた老人が私に語ったことです。「知っているか?方丈がいなかったら、この塔林(歴代僧侶の墓地)も失われていたかもしれない。以前、紅衛兵たちが塔林を破壊しようと爆薬を持ってやって来たことがあった。その時、方丈は兵士たちの前に立ちふさがって、「塔林を破壊するなら、その前に私を始末しなさい。」と大声で叫んだんだ。紅衛兵たちは驚いて逃げ去ったよ。お陰で塔林は救われた。又、寺にあった文物や仏像、経典などをいち早く他の場所に移したり、埋蔵したりして、紅衛兵たちの略奪や破壊から守ったんだ。失明寸前の老僧が、自分の命を引き換えにして守り抜いたんだ。彼が少林寺の復興に果たした役割の大きさは計り知れない。」

生涯、苦労が多かった老方丈。彼がいなければ、少林寺の存続は難しかったかもしれません。師父は少林寺の歴史の中でも得難い高僧です。今でも、よく塔林に眠る師父のところに出かけます。師父は私に、厳しい修行をやり遂げる知恵や人としての在り方など多くの事柄をその生き方で示してくれました。今の私が行っていることは、師父が願っていたことの実現でもあります。自身の命をも顧みなかった師父が望んだ少林寺復興に尽くせるのなら、恐れるものは何一つありません。


by takeichi-3 | 2019-04-27 23:55 | 武術各派 | Comments(0)

何時でも何処でも太極拳~内気運用。。。

f0007580_23305065.gif

北京留学中に会った、陳家溝から北京に講習の為に訪れた老師が、独自に定義した太極拳の段位ですが、、、

1.太極操(太極劲等が無く、動作を覚えているだけ)
2.太極拳熟(規範への理解が伴ってくる)
3.太極功夫(用法が伴ってくる)
4.太極文化(生活の中に太極拳が浸透していく)
5.太極拳精神(自分自身の心がユッタリとして寛いだものになる)
6.太極道(神仙の境地=宇宙が入ってくる)


4の太極文化(生活の中に太極拳が浸透)⇒太極拳生活化。以前は、中国の太極拳愛好者たちの工夫に納得していましたが、、、
・歯を磨く時、左右の脚の重心を移動させながら虚歩の練習。
・拭き掃除の時、腰背が手腕を帯動するように~脚部も協調。
・エレベーターの中では、站桩。
・歩行時、要放松、軽松を求める⇒速く歩ける、省力等の効果も得られる。
・リュックを背負っている時、肩放松~荷物の重量を、腰、腿を経て足裏に松沈。
・地下鉄では座らずに、両脚肩幅~平行を維持して站立。車両の揺れに応じて重心調整。

規律(身法)が身に付き始めて内側調整の精度が上がった最近、高手たちの黙拳という方法での~いつでもどこでも、どんな姿勢でも内功(内劲運用)可能という状態も理解できるようになってきました。

呉式の楊禹廷老師は、一見寝ているような状態で。。。
真到了这个境界、你連拳都無所謂盘不盘。你上了身、一動就是“这个”。練上身了、你走着路也就練了。走路也是練。座飛機上能打拳吗?你就座在座位上、你“默拳”就行了。你黙拳、身上就能出盘拳的感覚。当年、楊禹廷先生就每天默拳。我上他家去、師奶説了「你座在那儿別説話、等你師爺默完拳再説」。楊先生躺着默拳、老太太要不説、我还以為老先生在那儿睡覚呢。師爺盖着毛巾被、側着身睡覚、挺安穏。実際上他在練拳呢!这个時候、你要按他一下、你保証就飛出動了。

【内劲】
太極拳的“内劲是用意識指導動作、放松筋肉。是由動作螺旋式地划弧転圈、反复運転、松緊交替的方法鍛錬取得的。須放松的筋肉。関節要充分放松;用力的筋肉、関節要充分用力(用力的筋肉、関節仍需要放松的意念貫注其中、此所所謂実中有虚)。

王宗岳著《太極拳論》中説“極柔軟、方能極堅剛。”鍛錬内劲要由松入柔、積柔成剛;由慢到快、再由快到慢。使之能达到快慢随心所欲。日久天長、全身軽霊、柔和、圓活、体内和手臂有一股深厚沈重的力量、変化極為迅速霊活、可以随意地転換和集中到某一点。“这種力量似柔非軟、似剛非剛、剛中有柔、柔中有剛、这種力量就是太極拳的内劲。

“内気”:太極拳的“内気”也叫“中気”。凡是認确地練太極拳者、功夫到了一定程度,便会在体内産生“内気潜転或“中気貫足”的体内感覚。首先出現腹内“咕咕”作声、日久就消失。“気沈丹田”腹中充実圓満、还会出現手指頭麻、脹、針刺的感覚、手臂有膨張沈重的感覚、以至于“気遍全身”的感覚。

練習時首先以外引内、然后由内及外、等到熟極而流、就能内外合一、一動内外俱動。一定要做到身正体松心精意伝、以達到整体性的“意動形随”。練習時首先以外引内,然后由内及外,等到熟极而流,就能内外合一,一動内外俱動。一定要做到身正体松心精意伝、以达到整体性的“意動形随”。

这様練下去、即可得到“内気”。気流現象出現于筋膜和脈管間后、功夫会加深一層。気流現象还可以出現于骨髓管内。这就是王宗岳《太極拳論》中所説的“収入脊骨”的内気感覚。

“内功”;太極拳的“内功”一是指在太極拳練習過程中、結合腹式深呼吸、使腹部的膈筋昇降活動和胸部的肺呼吸活動協調進行、并逐漸加深;胸背部和腹部的筋肉、在弧形松沈転動中也獲得細密的鍛錬。

二是指在太極拳練習過程中、凡動作欲向何処、先将内蔵器官作好動向安排、以内帯動外形(即所謂里不動、外不発)、使内臓器官不断地做自我按摩、挤圧和転動、从而使筋体内層也獲得精密的鍛錬。

練習太極拳由動作熟練到転入研究内功(内劲、内気、内動)就会逐歩体会出太極拳一層深似一層的出神入化的意境。而吸引人们長久、認真地練習、它即可達到自衛、健身的目的。

by takeichi-3 | 2019-04-26 23:53 | 太極拳理論 | Comments(0)

何でだろう~(--)?

最近、視聴回数が増え始め~ここ数日は、一日に2000回以上とかになっている浙江省隊「呉霊芝」の大会動画(2016年)。で、視聴者の100%が男性。美人だから?、コメント内容も武術からかけ離れたものもあったり~(^^;



1996年6月生まれ。出身地は福建霞浦牙城鎮后山村。幼い頃から武術を学び、2004年に蒼南飛林学校で武術を専門に学び、2008年に温州市体育運動学校に、2011年に浙江省体工大隊に、2014年に浙江大学に入学~な経歴。

この年、伝統拳(其他象形拳)や対練でも一位獲得。






棍術表演の風格、同じく浙江省隊の「王地(南棍)」に似ています。。。




浙江省隊の太極拳集体。。。




by takeichi-3 | 2019-04-25 23:51 | 武術大会動画 | Comments(0)

太極八法を利用して~内功で動く。。。

昨日の練習時、参加者に「太極八法、定歩(足の動きが無い)で、身法を遵守して内劲(気)を生産、それを運用して手腕を稼働させる練習、何時でも何処でも行えて、身法による身体操作を習慣化(自然)するには最適かも~」と、ポジションをアドバイスしながら試してもらったところ、「胴体部の運用が明確になる~練習する価値がある」と、賛同してもらえました。



★内功の基本⇒劲(気)の稼働。。。
“站桩(タントウ)=静功”⇒站功で求められるのは、静止(外側)している内側で意識によって力(劲力)を運用すること。太極拳は中医の基本となる、“吐納”を応用している武術です。“吐納=古いものを吐き出して新しいものを取り込む”という呼吸法を利用して身体の調整を図ってもいます。

起勢を例にとるなら、“丹田内転”、“心火と腎水の交泰=虚領頂頸(神往上昇)と気沈丹田=尾閭中正(気往下沈)による、脊椎の上下の引っ張り合い(対拉抜長)により小周天を通し易くする”などが可能になります。気(気功)も劲力(太極拳)も、意識によって運用されなければなりません。意識を養うには、静(タントウ)状態のほうが分かり易くなります。

第一歩としては、、、
掌は胸の高さに、身体の前で腕を丸くするという太極桩の姿勢をとり⇒虚領頂頸、沈肩墜肘、尾閭正(股関節の放松、圓裆)を保つ⇒坐って行ったほうが容易に立腰(腰が反っていない正しい姿勢)に。

姿勢が整ったら、腹式呼吸(横隔膜下降による)で息を吸い、吸った息は丹田へと落としていきます(壇中内含より関元内含へと意識による圧の移行を行えば、横隔膜下降は自然に出現)⇒腹圧(逆腹式呼吸)によって押し出された腹部の体液は、上方(背中や腕)へと移動して~自然に棚(peng)の感覚が生じます。この、体液の移動を意識の先導によって行う⇒この延長で手腕が稼働。


★陳小旺老師によるタントウ功時のアドバイスなど。
※動画の老師の言葉に、私自身の解釈をアドバイスとして加えています。

「一つ目の要求は、頭は自然に真っ直ぐ上に、肩の力を抜いて肘へと墜とす(肩を沈めた時に生じる体内の流れ≒劲・気)、胸を含め(膻中内含⇒内含により生産された劲により、背中側では弓が生じ~大椎が張り出されて有精神な状態に)、腰を立てて(収腹⇒関元内含、尾閭中正⇒命門が張り出され~劲が背中を上昇~腕へと)、股間は自然に松腰、圓裆に、膝は曲がり、股関節が開く、両手への要求などなど~これらの要求の目的は一つ⇒気沈丹田=形成丹田核心~貫通全身の基本となります」



今までのものは、抽象的(外側の形からの判断で、内側の充実ではないという意味?)な説明になります。
どうやって、丹田形成核心を判断するか?例えばリンゴ。リンゴの木になっている実が、こんな風に小さくて青かったら~まだ熟していないと判断できます。そして、こんなに大きくて赤くてツヤツヤしていたら、熟していると現れ的に判断できます。

では、現れ~という観点から彼の状態を判断してみましょう。丹田核心が形成されているか、一気貫通となっているか?もし、彼の体がこんな具合に後ろに反っていたら、丹田核心は出来ていません。こんな風に肩が上がっていても出来ていません。このように、自然で中正で、全身が安定している~という状態が表れる⇒丹田核心が形成されています。

自分自身では、どんな感覚が得られるのか?丹田に膨満感が生じている。胸部は自然にリラックスして、脚底には根が生え、大脳が安定して気持ちも静かに。このような現れがある=丹田核心が形成されている。

以下は、丹田運動の基礎練習説明。
丹田(臍の指三本分下)に両手の労宮穴を合わせて置き、呼吸の運用による丹田の回転に随って自然に回す⇒労宮穴と丹田の気は、互いに通じ合う(呼応する)⇒全身の関節は放松。核心が動く=全身が動き出す(一気貫動)⇒太極拳運動の規律。

by takeichi-3 | 2019-04-24 23:58 | 太極拳理論 | Comments(1)

太極拳規律。。。

f0007580_23305065.gif

今年の全日本大会は7月12~14日。岡山市のジップアリーナでの開催。
で、今月からは、太極拳練習も大会向け仕様になっています。とはいえ、テーマを、太極拳規律を遵守体現した端正な動作~にしたいので、主要となる規律を改めて。


★虚灵頂劲
虚領頂劲とも頂頭懸とも称されています。その要求は、舌先は軽く上顎につける。第三、四節頸椎は後ろへと向かう意識を持つ。首は後ろをシャツの襟に押し付けるような感じで起こす。百会穴は上へと向かい頂きとする。これが正しく行われると顎は自然に収まる⇒脊椎中正(立身中正)の要求を満たす為の第一歩。中正安舒の主要素。

目線は前方に、聴力(耳)の集中は後方とすることで気持ちが奮い立ち、同時に大脳は安静になります⇒「眼線が前に」への反対の力としての「聴覚は後ろに」⇒“有前必有后的”。

★含胸抜背
含胸抜背と挺胸(胸を張る)は相反する動作。胸の中心部を放松(膻中内含)⇒正しく行われると、大椎の張り出しにより自律神経が働き心理の安定が生じる⇒このような感覚が得られないとしたら、猫背によって作られた間違った含胸⇒中正でなくなる。

抜背は含胸と連動している。胸筋が放松含となって背筋(肩甲骨)は僅かに両側へと開き、胸方向へと巻き込まれるように~この時、横隔膜は自然に下降~肺活量が増え、体幹を支える筋肉も作動~耐力(安定)が増す。

★ 松腰
腰によって主宰する⇒“命意源頭在腰隙”という要求を満たすためには松腰でなければなりません。松腰となる為には、“尾閭中正=尾閭が收まっている"=立身中正安静"⇒太極拳の身法は中正が基礎となっています。身長の45%の長さがあると言われている脊椎は、S字形の生理曲線を描いています。これを、“頂頭懸”と“尾閭を收める”ことにより、脊柱骨を上下に松開させます⇒S字が消える。

脊椎をストレッチさせることによって体質強化が図れます⇒脊椎の柔軟性が保たれ、老化(脊椎の狭小化)のプロセスを遅らせることができます⇒「背骨が、あなたの年齢を語る⇒byハタ・ヨガ」。そして、頭から緩やかに脊椎を下方向に伸ばしていくことによって重心が低くなり、下半身の安定感も増します。

練習時、"腰帯=腰により動く"ということを忘れないように。例えば、足を前に出す時の爪先にさえも腰の主宰による力が反映されなければならないのです。この要求(腰帯)を満たすためには、腰の放松(力が抜けて萎えていてはならない=意識が通って立腰になっている)が不可欠です。

もし腰が強張っていると自然な協調一致が得られなくなるので、手と足それぞれをバタつかせながら動かさざるおえない状況(体操)となり、太極拳の特色でもある"一動無有不動=一箇所が動き始めると同時に全身全てが動き始める"=“整体運動”とはならなくなります。

★ 沈肩垂肘
松肩沈肘は肩関節が松沈となっているだけではなく、鎖骨も微かに沈ませている。肘関節は始終、的度な湾曲を保ちながら沈垂となる。肘関節は力点に対する支点としての役割がある。外三合でも肘の合は重要視されている。垂肘の前提において沈肩も完成する。

沈肩垂肘によって相手からの胸部攻撃を防ぎ易くする⇒沈肩により腋に隙間が生じるので、肘は胸肋につかず離れずという理想的な形になる⇒くっついてしまうと自由に動けない、離れ過ぎると身を守れない。

“三垂”=気垂、肩垂、肘垂。
気垂:気が丹田に落ちて行く⇒身体は山のように穏やかで安定する。
肩垂:腕には松劲が満ちる⇒全身を放松に導く⇒動作を重沈なものにする⇒腕を長く使える⇒肺を広げるので、息があがらなくなる。
肘垂:上腕二頭筋を捻る⇒それによって、静脈と毛細血管を広げ血流をよくする⇒血液循環のスピードが速くなる⇒循環器系統の改善。

肩関節は手三陽経、手陽明(大腸)経、手太陽(小腸)経、手少陽(三焦)経、及手三陰経、手太陽(肺)経、手少陰(心)経、手厥陰(心包)経に関っているので~肩が上がる=強張る⇒気血の通りが悪くなる。

沈肩垂肘でないと、背中、腰、脊椎が強張るので気の通りが悪くなるだけでなく指先への劲の流れを悪くする。肺、心臓などが上へと引き上げられる⇒緊張を招く。

by takeichi-3 | 2019-04-23 23:59 | 太極拳理論 | Comments(0)

気貼脊背の運用。。

f0007580_23305065.gif

今日は、拳歴の長い知り合いが訪ねてきてくれたので、太極拳規律を欧米的体幹強化トレーニング方法と組み合わせながら~沈肩墜肘、含胸抜背、気沈丹田により気貼脊背を出現させて、それより生じる力(劲)の体感&その運用により身体を動かす~を納得してもらうことができました。「身体が整うことで自然に動きが生じる~太極拳熟語(規律)が実体化するので楽しい~」な感想も聞け、私自身も充実した時間を過ごすことが出来ました。あ…内含、想像以上の深度だったそうです~(^^)v


練習太極拳、若能够做到"気貼背”、就能做到"力由脊発”的整劲、対実用防身起着至肝关重要的作用。同時、練到"気貼背”、対排出湿毒、増強心肺功能、防治肺病有積極的促進作用。

★含胸抜背⇒気貼背。

①如何做到気貼背
《十三勢行功心解》中説、“牵動往来気貼背”。这説明"気貼背”在太極拳行拳中很重要。如何做到"気貼背”?一是在拳架外形上要体現含胸、从而抜背。含胸要做到両肩前裹、両臂前棚、有如杯中抱一个大球、要防止大球跑掉、就要用意前抱、这様動作就棚圓了。含胸的衡量標準表現為:在身前、胸要含在両大臂内、或説大臂在胸前、胸不外露:在身后、表現為拔背、感覚脊背向両边対拉対拔、背部発緊、使気貼背。二是通過呼吸配合動作、让前丹田的小腹存的内気走任脈上昇、搬運到身体的后面、走督脈、気衝命門、気貫督脈、気遍脊背、形成"気貼背”。“気貼背"的感覚像有張紙貼在背部一様。

②気貼背的效果
当做到“気貼背”時、后腰則有挺実的感覚、这就是“后撑命門”、也就形成了"身弓”、有了脊柱如龍的"身弓”、全身的整劲就来了。有了整劲,脚下一蹬,気劲上頂、節節貫穿、催脊背的内気前撑貫衝手臂、使内劲達到着力点。这便是《太極拳論》所説的:“其根在脚、発于腿、主宰于腰、行于手指。”所以、練太極拳保持并能運用"気貼背”、会使行拳膨満圓活、功力大増惊人、正如楊澄甫所言:“能拔背則力由脊発、力大無穷矣”

by takeichi-3 | 2019-04-22 23:55 | Comments(0)

2019全中国武術大会伝統拳。。。

★先週行われた、全中国武術套路冠軍賽伝統項目のハイライト~南拳ダブルス定着しているようです。




★集体一位は重慶チーム。。。




★大刀で一位になった少林寺塔溝武校からの参加者。。。



f0007580_23015361.gif

選手ではない、一般武術家が参加する~稀有な伝統拳を見ることができる国家体育総局&中国武術協会主催の伝統武術大会の開催は、7月10日~12日、遼寧省遼陽市弓長峰区にて。瀋陽観光も楽しめますね~(^^)v

規定拳(太極八歩五法も加わっています)&規定器械以外の伝統種目。

★徒手⇒南拳(詠春拳、五祖拳、洪拳、蔡李佛、地術拳、鶴拳、其他南拳)、形意拳、八卦掌、八极拳、通臂拳、劈挂拳、翻子拳、地躺拳、象形拳、查拳、花拳、炮拳、紅拳、華拳、少林拳、武当拳、峨眉拳、其他伝統拳術。

★器械⇒刀、剣、棍、槍、朴(大)刀、扇子、匕首、鞭杆、杖、棒、拐、铲、叉、太極(剣、刀、槍)、南刀、南棍、双刀、双剣(含長穗双剣)、双鞭(含刀加鞭)、双钩、双匕首、双钺、九節鞭、双節棍、三節棍、流星錘、縄镖、其它器械。


by takeichi-3 | 2019-04-21 23:58 | 武術大会動画 | Comments(0)

太極拳用品販売の傍ら~拳理を解明しています⇒カレンダー下の「三清」をクリック~お立ち寄り下さい。m( _ _ )m


by takeichi-3
プロフィールを見る
更新通知を受け取る